赤い彗星の元カノの話(「レコアさんのこと」再掲)【#紅白記事合戦2024】
ガンダムを語るのは気をつけるように、と息子によく言われます。年齢や年代が限定されるので、若い人には敬遠されるのだとか。特に受けを狙ってはいけないそうです。
いえ、受けを狙うつもりはさらさらないのですが、今回、危険を知りつつ、ガンダムを知る人にしかわからないかもしれない記事を書こうと思います。
白い悪魔と呼ばれたガンダム。
ガンダムの話なら、白記事だろうと思われるかもしれませんが、私はどっからどうみてもサイコパスとしか思われない赤い彗星、シャア・アズナブルが嫌いではないのです。
特にゼータ時代のクワトロ・バジーナだったシャアが気になります。かなりヤバめな人格と行動、ノースリーブにサングラスという超ダサい服装にもかかわらず、気になる。当時乗っていたリック・ディアスとギラギラな百式も好き。
それまで散々、自分にとっての邪魔者を排除しまくってきたくせに、半端にセンスを持つが故に強い能力をもつニュータイプに憧れて、苦しみ、悩むクワトロ。ダカールではいかにも地球を愛する演説をぶちかましておきながら、のちのち地球にアクシスを落とそうとするとか、ゼータの最終回で宇宙に投げ出された結果、発狂したとしか思われません。
関係した女性を死なせるか恨まれるかしかできないのも、究極のだめんずです。
なのに、やっぱり惹かれてしまうのです。悪という自覚なしに自分が正義だと信じる狂気に、悲劇性を感じるからなのでしょうか。
ディスりながらも好きな、シャア。
紅白記事合戦に参戦するかどうかだいぶ悩んだ末、赤い彗星がらみで赤記事を書くことにしました。はてな・みらっち時代に書いた「レコアさんのこと」。修正してここに出そうと思います。
長いですが、では。
赤い、といったら「シャア」しか思いつきません。赤いと言ったらシャア。シャアと言ったら赤い。
シャアには生涯に何人か彼女(といってもたいてい、まともにつきあってない)がいるのですが、そのひとりが、クワトロ・バジーナという名前だった時代(『Ζガンダム』)の彼女、レコア・ロンドという女性です。
ガンダムを観ていて、私が最も反応したのが、このレコアさん。
今日はちょっと、レコアさんのことを語らせてください。
ジェンダーの問題がかつてないくらいに世界で取り上げられ、議論もされるようになっている昨今。ジェンダーにまつわることに耐えがたい苦痛を感じる人がいる、ということを、遅まきながら私たちは知ることとなり、さらには、配慮した生き方やコミュニケーションのあり方を求められるようになってきているのが現状だと思います。
認識の不足や感じ方の違い、生きてきた時代や育ち方の違いで、今現在は問題の端緒についたばかりで、正直なところ社会的にも、個々人の意識においても、結構混乱があるのではないか、と思います。私自身も正しく認識できているか自信がありません。
女性が(戦時に、あるいは平時であっても)不当な扱いを受け、評価されることもなく、無視、あるいは迫害を受ける、ということに関して思い浮かぶのが『機動戦士Zガンダム』に出てきた登場人物、「レコア・ロンド」。アニメを見ているときから、気になって気になってしかたがありませんでした。
『機動戦士Zガンダム(ゼータガンダム)』は機動戦士ガンダムの続編です。 宇宙時代の戦争がテーマです。戦争を描き戦禍を描きながら、「人はわかりあうことができるか」という根底のテーマがあって、物語のほうも侮れません。
レコアは主人公カミーユの同僚だった人で、大人の女性として描かれています。
少女時代に両親と生き別れ、生き残るためにゲリラ兵から軍人になった経緯が作中にちらっと出てきます。美人で、落ち着いていて冷静。年齢は23歳。階級は少尉。仲間にも信頼され、頼られているような存在です。彼女は常に危険な任務につき、スパイや諜報員、斥候として味方に貢献してきました。彼女自身も、「私の性分なの」と、自ら望んで危険な任務についていたような発言を繰り返しています。
ところが彼女は、物語の中盤で突然仲間を裏切り敵に与してしまうのです。その理由が、誰にもわからない。登場人物たちにもわからないし、視聴者にももちろんわかるわけがない。みんな何が何だかわからず、「レコアさん、どうして?」と言うしかない。
彼女自身も離反の理由を説明しようとしますが、うまく説明できません。任務で敵方に潜入した際、敵方の指導者「シロッコ」に会い、彼が彼女に共感を示した(暗示をかけたのかもしれません)のがきっかけだったのですが、どうもそれだけではないようです。なにか「男女」ということに極端にこだわっています。
シロッコはちょっと宗教がかった危ない洗脳系の人で、人の心を巧みに操る人物。レコアには甘言を弄して優しく接する反面、仲間に向かってはレコアを「依存心の強い女だ」と片づけています。レコアも彼に対しては「あなたに賭けた」と言いながら、実はそこまで心底心酔してはいないようです。
レコアには救いがたい絶望と虚無があり、希死念慮も強い。そこにシロッコからつけ入られるスキがあったのかもしれません。実際のところ、彼女が自分の意志だと思っていたことが、終始シロッコに操られていた結果だった可能性も否定できません。
離反する前の艦には、前回の戦争で敵方だったシャア・アズナブルがいました。クアトロ・バジーナと名前を変えています。27歳。クアトロ大尉とレコアは大人の関係です。でも恋人と言うわけではない。どうやら彼女はずっと、男性からそういう扱われ方をされ続けていた、のではないかと思います。
レコアは危険任務に暴走する自分を止めてほしいと思っていたようですが、その気持ちはクワトロだけに向けられていたわけではなく、同僚全員に「止められるものなら止めてみろ」「あなたたちには私のことなんて一切わからないでしょう」というようなちょっと挑戦的な感情があったような気がします。
クアトロ時代のシャアは全編通して最も素直に感情を言葉にしていたように思います。とはいえレコアとはただの「割り切った大人の関係」。
エゥーゴ離脱を決めたレコアはそれまで大事に育てていた植物を全部処分して出ていき、たったひとつだけサボテンがのこされます。カミーユになじられ殴られたときに、クワトロは「サボテンが花をつけている……」という謎の言葉を残しています。色々な解釈ができると思いますが、サボテンがレコアを象徴していたのは確かで、クワトロは「(離反は)彼女の心に従った選択だ」と言いたかったのかもしれません。
ゼータガンダムにはたくさんの女性が登場しますが、レコアには同僚として主人公の幼馴染のファ・ユイリィ軍曹(17歳)、敵対勢力から離反して味方になったエマ・シーン中尉(24歳)がいます。ファもエマも、艦に来たときは、レコアの世話になり、それぞれプライベートな話もしたりする関係です。それだけにレコア離反のショックは大きいのですが、それぞれ思うところは違います。
ファは、レコアに対し、漠然と「わからないでもない」感覚を持っています。エマは、戦場で男だ女だというレコアに全く共感できません。ただ、レコアは人として悪い人ではないどころか、むしろいい人なので、その変節を受け入れがたく思っています。
エマは、実直で理性的な女性で、信念を持っています。別艦の艦長から思いを寄せられていますが、みんなに応援されるような、純情で健全で後ろ暗いところのない職場恋愛で、エマ自身もまんざらではなさそうです。エマはそう言う面ではレコアと同年代にしては少々子供っぽいし、職場で差別対象にされたことがないどころか、優しくされ愛されている感じです。ちやほやされている、と言ってもいいかもしれません。
エマが来る前と来た後では、レコアの仕事に対するモチベーションが変わっているように思えてなりません。
レコアからすると十代のファはさすがに子供で、カミーユに対する一途な思いは可愛らしいだけですが、年の近いエマに、女を利用した危険な任務の命令がくだることがないことや、女性としての扱われ方の違いを強く感じていたのではないか、と思うのです。
特殊任務ばかりさせられて、感謝を口にしながら結局は好色な目しか向けない。レコアは少女のころから男性(および社会)にそうやって扱われてきたので、もしかしたら麻痺していた部分があったのかもしれません。そうしないと仲間として扱われない、と思ってでもいるようです。
それを刺激したのがエマの存在だった気がします。しかもエマは軍人家系出身で、敵を裏切って味方になったのにいきなり中尉です。レコアはどんな汚れ仕事をしてもゲリラ上がりの少尉でしかありません。だからといってエマに敵対心を持つということではなく、ただ自分自身のほんとうの気持ち=人として女性として尊重されたい。に、気がついてしまったのかもしれません。あるいは今ちやほやされているエマでさえも、いつかその犠牲になると思っていた可能性もあります。
離反した先でレコアはスパイでないことを証明するためにますます汚れ仕事をさせられます。彼女が以前と同じか、それ以上にひどい扱いを受けているのに、なぜ「前よりマシだ」と思うのか不思議でした。しいて言うなら、シロッコは人を利用することしか考えていないのでテクニックとしての優しさを他人に対して平等に行使します。そのグループでは兵士は同じように杜撰に扱われ、シロッコにだけは同じように優しくされます。もうどう考えてもヤバイ集団ですが、平等と言えば平等。エマとの時のような差はないのです。
レコアは離反前、潜入作戦で辱めを受けたらしいのです。その作戦の直後しばらくは普通に過ごしていました。ただ、仲間がレコアの苦しみに全く気がつかないこと、気づいても気づかないふりをすること、それが優しさだと勘違いしていること、自分には「彼女には少しくらいセクハラしてもいいんだ」「冗談通じる」「わかってくれる大人の女性だ」「危険任務は自分の仕事だとわきまえた女だから任せておけばいい」みたいな扱いをすること、甘えて来るくせに自分のことは甘えさせてくれないこと、女性としてエマとは違う扱いを受けることに、気づいてしまった。自分とは真逆のエマの存在はそういうものに耐えられなくなるきっかけになってしまったのかもしれません。
居場所を感じられなくなった彼女は、それを紛らわすため、ますます危険な任務に志願するようになりますが、「どうしてレコアさんだけが危険な任務にいかなければならないんですか!」と、止めてくれようとしたのは主人公カミーユ(17歳、男性)だけ。カミーユは共感能力が高いので、レコアの危機を敏感に察知し、なんとかレコアに寄り添おうとしますが時はすでに遅かったのでしょう。
レコアとエマは最後に敵として対峙します。相打ちになるのですが、その時にこんな会話をします。
ちょっと待て。
少年アニメですよね。健全な青少年が見るアニメですよね。
主人公カミーユは、最初のガンダムの操縦者アムロ・レイと同じように軍人ではありません。一般人の協力者として戦争に参加している微妙な人です。そのうえ大人ではなく子供に近い年齢の少年です(おんなこどもに分類される。名前も女性的な名前)。だからこそ、敵味方関係なく、被差別対象者や虐げられている人、弱者に対して強く反応し、助けてあげたい、と思います。レコアさんもそのひとりだったと思います。実際、レコアさん以外にもひどい扱いを受ける(すでに人間扱いすらされない)「強化人間」という存在がいました。彼らは全員女性です。カミーユは彼女たちにも強く反応します。
レコアは全編出ずっぱりと言うわけではありません。放送当時はまだまだ、いまよりもジェンダー認識が薄い時代(1985年)。セクハラやパワハラに相当するセリフや言動も数多く登場します。その時代において、非常にセンシティブな問題を織り交ぜているのです。
一緒に観ていた我が家の中学生(当時)はレコアのことは「よくわからない変な人」「謎の女」「仲間を裏切った人」という認識でしかありません。それでいいし、ストーリー展開にはなんら支障がありません。
かなり前に『戦争は女の顔をしていない』を(はてなで)紹介しました。
このとき紹介した記事に書いたのですが、関連映画として『この世界の片隅に』に言及した際、『機動戦士ガンダム』の生みの親、富野由悠季さんのネット記事の話になりました。「戦争は男の論理」というものです。
創作と現実は違います。並列に並べていいものではないと思います。ただ『戦争は女の顔をしていない』を読んだときに、アニメを見たときのもやもやが晴れた気がしたのです。レコアは架空のキャラクターですが、ある種の「戦争の二次被害の犠牲者」を象徴していたのだと思います。そして架空であるがゆえに、彼女は反旗を翻したのだと思うのです。
戦争に関わった人はみんな犠牲者であり加害者であると思いますが、性別だけではなく、様々な差別(貧富、身分、人種など)によって、二次被害と呼べるような被害にあう人は多いと思います。
レコアは自ら敵となることで、自分を軽んじる人たちに復讐しようとしたのかもしれません。そういうことを、極端なキャラクターをつかって表現することができる、という意味ではアニメなど創作の訴えるものにも価値があるんじゃないか、と思います。現実には、女性が被害を訴えるのはとても難しいことです。今の時代でも、性被害にあってそれを訴えても加害者が正当に裁かれることは難しいし、被害者が二次被害、三次被害のみならず、相手や世間から何度も傷つけられることがないとはいえません。
最後に男性ではなくエマと相打ちになったのは、彼女たちの立場の違い、相容れなさを象徴していた気がします。心情的に互いに敵だとは思っていなかったと思いますが、エマは最後までレコアのことは理解できなかったと思います。レコアがエマを道連れにしたと言えなくもありませんが、ただ、レコアは同僚の男性たちの「エマに対するちやほや」と「自分に甘える態度」は本質的に同じだと思っていたのだと思います。
絶望的に無理解で無神経である、と。
ガンダムは見る年齢によっていろいろな角度から楽しむことができる、と言われ、それが長きに渡って視聴されている理由だと思います。チョイ出の脇役のレコアさんが、五十過ぎの女の心を鷲掴みにするなんて、驚きとしか言いようがありません。
レコアさんは、赤い人(=シャア)が好きだったのだとおもいますが、それがどうしようもないことも、それまでの経験で知り尽くしていたのでしょう。
シャアだけが彼女の運命を狂わせたわけではなく、戦争という大きな厄災を含め、彼女を取り巻く人々の無理解が、彼女を苦しめていたのだと思います。
はてなブログ「みらっちの読書ブログ」
「レコアさんのこと」
この記事は投稿当時、どなたかインフルエンサーの方に読まれたせいなのか、驚くほどたくさんの方に読まれ、ブックマークや感想をいただきました。後にも先にも、はてなで記事があんなに読まれたのはこの記事だけ。それだけ、レコアさんの行動に謎を感じていた人は多かったのかもしれません。
改めて、女性が戦争の二次被害者として絶えず辛酸を舐めてきたことが少年アニメの中に描かれていたことに驚きを隠せません。戦争、紛争が続けば一時的であれ二次的であれ犠牲者は増え続けます。レコアさんのような人を生まない世界であって欲しいと願う、2024年の年末です。