選手はブランド品ではない。
ボクシングにおいての才能、肩書き。
それはボクシングファン、ジムの会長やマネージャー、プロモーターにとってはとても魅力的だろう。
だけれど、指導者(トレーナー)はそこに捉われてはいけない。
選手を肩書きや才能でしか見れない指導者は、自分が指導したその選手が勝利し自分の評価が上がる事が重要なので、肩書きや才能が無い選手の価値は無いのと同じになってしまうからだ。
強くなく勝てなくても、無事に引退して競技を楽しんでくれることの方が重要。
能力の評価は経営者には重要でも、指導者には別なはずだから。
だから、プロのジムに所属する指導者に対する賞は必要ないと思う。
強い選手を育てたかどうかは、選手のタイトル獲得などで目に見えるのだから。
でも、目に見えて強くなった一部の人以外、指導された人達が強くなったかより、"指導を受けて、どれだけ幸せだったか"が大切だし、そして"指導された人が、悶々とした日々を過ごしたか"も重要なのだが、それは表には出にくい。
「この人(指導者)に出会わなければ…」などと思う選手の気持ちが、良い意味でも悪い意味でもどちらにでもなる可能性がある。
ネガティヴな意味でのそれが、もしかしたらその指導者の賞、栄光の影に隠れているかもしれないのだから。
指導者が選手を使って目立ちたがるのとは別で、指導の熱量が選手によって違い過ぎる事が問題なのだけれども。
ジム経営者やフリーランスのトレーナーが選手を選ぶのはありだが、そうでないジム所属のトレーナーが才能や肩書きで指導の熱量に雲泥の差を付けるのが良くないし、それでは熱量を低く接せられた選手が、辞めた後に後悔が残ってしまう。
肩書や才能、それはその指導者達にとってはブランド物と同じような感じなのかもしれない。
だけれど、選手達は物ではない。
選手は指導者を飾り、存在を大きく見せる為の物ではないのだから。
肩書や地位で選手を見てはいけないし、勝利やタイトルよりも、全ての選手を無事にリングから降ろすことと、選手がボクサー人生を心から楽しめることが指導者には最も大切なはず。
そして、まず見るべきは才能や肩書きではなく選手の心なのではないだろうか。
指導者は選手の心を見て、その心に応えるべき。
その先に、選手からの「指導して貰えて良かった」という、賞よりも素晴らしい言葉が待っているのかもしれない。