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カイロ大学声明の本質③―小池百合子とハーテム情報相の深い関係

小池氏の場合、同居人だった北原百代氏の証言(『女帝 小池百合子』)
によれば、いきなりカイロ大学2年に編入している。エジプト人でもありえない話だ。

「小池さんのお父さんが、ドクター・ハーテムに頼んだ」のがきっかけだという。

ハーテム氏とは当時、エジプト副首相兼文化・情報相だったアブドル・カーデル・ハーテム氏(1918〜2015)のことだ。1952年、エジプト革命を起こした自由将校団の一員で、軍の諜報部員だった人物だ。ナセル大統領と同郷の1年後輩で、革命後は大統領顧問に就任し、諜報機関の情報部創設を任された。

「ナセル政権はドイツ情報部に学ぶため、元ナチス将軍やゲシュタポ(秘密警察)、SS(ナチス親衛隊)の元責任者を召喚。これらの人物はエジプトの治安当局を前例のないレベルの残虐性と鉄拳支配に導くのに貢献した。その後の数年間、ナセル派の諜報機関は、政権に政治的に反対する可能性のある人物に対して、弾圧キャンペーンを展開。とくに国家機関から反政府的志向の強い人物を徹底的に粛清していった」

アルジャジーラ電子版「誰が影を支配するのか?エジプト情報闘争の全貌」2018年3月6日


弾圧キャンペーンは国家機関カイロ大学にも及んだ。カイロ大学の知識人やエリート学生を支配下に置くため、キャンパスにSSに倣った「革命親衛隊」を送り込んだのだ。

それに対し、自由な大学を堅持しようとリベラル派とムスリム同胞団の教授・学生たちが団結し、デモ活動で対抗したが、治安部隊との力の差は歴然だった。

1954年、カイロ大学は軍部に制圧され、革命指導評議会下に置かれてしまった。エジプト現代史において「カイロ大学粛清事件」と知られる事件である。それ以来、軍・情報部支配というカイロ大学の伝統はいまも続いており、情報統制面でその体制をつくった大元の一人がハーテム氏である。

ハーテム氏からみれば、軍事独裁政権の現シシ大統領は、軍部時代の弟分タンターウィー(元国軍総司令官、2011年革命後の国家元首代行)の部下、つまり孫弟子にあたる人物だ。また、シシ大統領の出世は軍・情報部長官就任から始まっている。

つまり、人脈的にも組織的にもハーテム氏の直系といえる。

ハーテム氏はさらに、シシ前の3代の大統領ナセル、サダト、ムバラクの下、要職に就き、権力を保持してきた唯一の人物でもある。

小池氏の学歴詐称については長年、疑惑が出てくるたびに、日本からのメディアの取材に対して「カイロ大学が卒業を認める」と繰り返しては収束してきたが、その背後には、こうした小池氏のハーテム人脈を頂点とするエジプトの軍・情報部と大学の権力階層構造があることも、念頭に置く必要がある。

また、カイロ大学では1954年の粛清後、小池氏が留学する70年代まで、特殊な外国人留学生枠が存在した。

一つは、アラブ諸国で反政府活動をする若者を亡命させ、ナセルの「アラブの大義」で洗脳し、国に戻ったときに工作員にする枠。

先述したように、イラクのフセイン大統領もその一人だった。もう一つは、表向きは文化的だが、同様にエジプトの国策に都合のいい将来のエージェント育成のため、非アラブ特定国の若者を優遇する枠だ。

ハーテムは情報・文化省のトップとして、外国の若者の受け入れを推進すると同時に、それらの国々と友好協会を立ち上げていった。

14歳の女の子を養女に

小池氏は、ハーテム氏が作り上げたエジプトのエージェントなのか。

エージェント育成の経緯から、いつ誰の支援で”卒業”したか、卒業後、大臣にまで出世した小池氏がエジプトへの奉仕を語り出すまでの詳細を、政府系新聞アハラーム紙が綴っている。

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