吉姫百合子

よしひめゆりこ と申します。コロナ禍中に小説を書きはじめました。エッセイにも挑戦中です。

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最近の記事

ボルドー

初めてガロンヌ川沿いのボルドーの旧市街の街並みを見たのは、13年前だったか。 我が家は毎年夏休みに、スイスからフランスのアルカッションにレンタカーで海水浴に行く。約10時間のドライブなので、途中で一泊し、アルカッション郊外の巨大な砂丘の麓にあるキャンプ場に1週間ほど滞在する。ボルドーを通過する際は、交通渋滞の激しい市内はいつも避けてきた。 夫のバーニーが運転し、私の役目は地図をみて、道筋を決めることだった。その当時はまだ、私がレンタカーに設置されたナビを使い慣れておらず、

    • 松林、燃ゆ

      コロナ禍で2年間、夫のバーニーの故郷、スイスに帰郷できなかった。2022年の夏休み、やっと、家族でヨーロッパを訪れた。早速、レンタカーにテントや寝袋を詰め込み、スイスから南仏のアルカッションに向かう。巨大な砂丘の麓のキャンプ場に一週間泊りながら、海水浴を楽しむ予定だった。 7月12日: その日はアルカッションの旧市街の船着き場から、船でキャプ∙フェレに向かい、そこのビーチで泳いだ。途中、La Teste-de-Buch 付近の広大な松の森から煙が、立ち昇っているのを見た。真

      • ハイキング

        2022年7月下旬。快晴。今日は長女とスイスのヴァリスでハイキング。標高、1,200 mくらいの村から標高2,200 mのフィエシュ∙アルプスまで徒歩で。いざ、出陣!   1,600m付近: ゼイゼイ、ハーハーと登っていたら、16歳の娘が、 「ママ、持つよ」 と言って、私の背中から水筒の入ったバックパックを取り上げスタスタと前を歩いていく。 さすがは、水泳部! 彼女は狂人的な心臓と肺を持つ。   赤ちゃんの頃は背中に負ぶって、一緒にハイキングもしたし、スキーもした。プールでは

        • ジョギング

          「ちょっと、ゴルゴタまでジョギングしてくる」 と言うと、娘達は 「オーケー」 と声を合わせて言い、本から目も上げない。   時は2022年の夏、スイスのゴムスに滞在中の私は山でジョギングをする。ハイキングのメッカ、ゴムスでジョギングなどをしているのは、日本のオバサンの私くらいだ。   ゴムスを訪れる観光客は大抵ゴンドラでアルプスに登りそこからさらに上の木のない岩の山肌を登ったり、氷河の横を歩いたりする。下界でジョギングをしている暇などはないのである。   私は体重維持のために

          流れ星

          私は子供の頃、一時期不幸だったことがあるので縁起をかつぐ。テントウムシも好きだし、日本の寺や神社を巡ってはお守りを買う。イタリアやスペインの教会では一番安いロザリオを買う。ギリシャでは小さいイコンを買う。ハイキング中にコガネムシを見つけては、 「ラッキー!」 と、鬼の首を取ったようにはしゃぐ。   子供達には蔑まれ、夫には呆れられる。 お坊ちゃま育ちの夫や、何不自由なく育ったうちの娘達 に分かってたまるか!   なので、8月と12月中旬の流れ星の季節には、目をギラギラさせて必

          ルツェルン湖

          夫のバーニーの同級生のテレサはスイス人のグラフィック∙デザイナーで、ルツェルンに住んでいる。社会福祉士のパートナーと同棲中。子供はいない。私達は夏休みにスイスに行くたびにテレサの家に泊めてもらい、ルツェルン湖で泳ぐ。   今年は彼女のパートナーはゾロトゥルンで和太鼓のキャンプに参加中ということで、テレサにしか会えなかった。   私達親子4人は2022年のスイスの建国記念日 (8月1日)の前夜に車でルツェルンに着いた。テレサが2種類のサラダとスパゲッティを作ってくれた。夕食後み

          ルツェルン湖

          ヴァリス

          私達家族はカナダに住んでいるが、夏休みは夫のバーニーの母国スイスのヴァリスで過ごす。バーニーはチャキチャキのベルン人で本当はベルナー∙オーバーランドで夏を過ごしたいのだが、ベルナー∙オーバーランドは物価が高すぎて手が出ない。そんなベルン人の避暑地がヴァリス。夏はハイキングの、冬はスキーのメッカだ。ヨーロッパ中からベルナー∙オーバーランドやエンガディンに手が出ない観光客が通年で訪れる。特にオランダ人に大人気だ。   この日は車でゴムスからジュネーブへお出かけ。シエールでふと右手

          祈る

          カナダに移って32年になる。日本に行く度に、神社仏閣で必死に祈る。家族の健康を。 なにかいいことがあった時、真っ先にご報告したい日本の神社仏閣は埼玉県狭山市の小祠様だ。茶畑が並ぶ小高い丘の中腹にある、名もない小さな石の祠だ。明治三十二年再建と修復された年が彫られているだけで、どなたをお祀りしているのかも、何も分からない。次に帰国した時、市役所で問い合わせてみようと思う。 父がアル中になり母に暴力をふるうようになった。両親は私が8歳の夏に離婚した。母は私と妹を連れて、叔母を

          Kang Tong Boy by YMO

          仕事で行き詰った時は、YMO (イエロー∙マジック∙オーケストラ) のKang Tong Boyを 聴く。矢野顕子のソプラノがフワァ∼っ脳内に染みわたる。Kang Tong Boyはライブ録音のがいい。当時、彼女は教授(坂本龍一)と蜜月だった。恋する女の声って、こんなにも美しいんだ。それとも、恋なんて、しててもしてなくとも、矢野氏の声は、とにかく美しいのか。彼女の伸びーやかな声を聞いていると、私の心まで伸びやかになってくる。   当時、矢野顕子が恋してなかったら、高橋幸宏の英

          Kang Tong Boy by YMO

          カナダの大学受験

          高3の長女が大学に進学する。目標はただ1つ。大学リーグに入っている水泳部のレギュラーになって泳ぐこと。彼女は高2の時点では、その夢に到達できるようなタイムは持っていなかった。ない時間を無理矢理作って、ジムに通い、筋トレに励んで、高2の終わりからどんどんタイムを伸ばしていった。後は、彼女のタイムでも泳げるチームを探して願書を出すだけ。   カナダでは入試がない。ネットで志望校に願書を出すだけだ。高校の成績表もネットで送る。願書には、連絡先や高校名を書くだけだ。 「本当にそれだけ

          カナダの大学受験

          なかやまきんに君について

          50歳を過ぎたあたりから、太りやすくなった。私は体重は計らないが、服がきつくなると、(ああ、体重増えたな)、と気づく。ここ20年ほどは、週3回、5キロほどの山道をジョギングしているが、体重が増えた時は、少し余分に走るだけで、ダイエットはせずとも元の体型にスーっと戻った。それが、最近は効かない。ダイエットをしても、あまり効果がない。   そこで、昨年からYouTubeを使って生まれてはじめて筋トレをはじめた。しばらく真面目に取り組んではいなかったが、最近、なかやまきんに君の動画

          なかやまきんに君について

          忘れられない本

          先日、「忘れられない映像」というエッセイを投稿したのだが、今回はその姉妹編というか、幼い頃に読んだどうしても忘れられない本について書いてみたい。再び1970年代の話だ。   私が幼い頃から忘れられない本は2冊しかない。一冊目は、民話と伝説シリーズ「世界の美しい話」偕成社(1970年)だ。大石真の編集で絵は藤沢友一による。   当時、私は7歳だったと思う。図書館でみつけた偕成社、世界の「民話と伝説シリーズ」にどっぷりとはまった私は、1キロ離れた図書館に1人で歩いて通いつめた。

          忘れられない本

          とうとうたらり たらりらぁ∼

          石田衣良さん、早川洋平さん、美水望亜(よしみずのあ)さんの「オトナの放課後ラジオ」が好きで、よくYouTubeを見ている。先日この番組で、衣良さんが近田春夫作の筒美京平(1940-2020)の伝記を紹介していらした。衣良さんの解説によると、この日本の昭和の歌謡界を代表する作曲家は、天才だったらしい。   そこで、筒美氏について自分なりに調べてみた。確かに凄い。総売り上げ数は、歴代の作曲家の中で1位。日本レコード大賞作曲賞を過去5回も受賞したのは、これまで筒美氏だけだ。   筒

          とうとうたらり たらりらぁ∼

          忘れられない映像

          幼い頃、テレビで観たどうしても忘れられない3つの映像がある。テレビで観たと言い切れるのは、私は1969年(昭和44年)生まれで、当時の子供はテレビか映画でしか、映像を観ることはできなかったからだ。 あれから、40年以上たつが、この題名も分からない3つの映画のことを今だに思い出す。そこで、ネットで探し当ててみることにした。 1つ目は、洋画のサスペンス物で、私は話の筋も全部覚えていたので、恐らく、1970年代のアメリカ製ではないかとふんだ。Google に覚えていることを、以

          忘れられない映像

          「山寺へ」第3話

           二人が三十分ほど西に進んだ時、陽介は地形図を見ながら言った。 「この辺の傾斜が造園所からは一番緩い」 「じゃ、ここが参道だったんですか」 「跡形もないですよね」 「降りてみますか?」 「ええ。丁度、造園所の真上あたりですし」  下りは登りよりは楽だとはいえ、それでも直線で降りられる箇所などはなく、立ち込める木々をかわしながら、二人はスウィッチバックを繰り返した。  陽介の手に捕まって、斜面に横たわる倒れた大木を乗り越えていた祥江が言った。 「千年前は、あんなに栄えてい

          「山寺へ」第3話

          「山寺へ」第2話

           陽介は、席を立ち、店のオフィスで、空だったバックパックに、チーズケーキの箱をぎっしりと詰めた。そして、洗濯室から祥江の乾いたダウンジャケットを持ってきた。 「あれっ? 裾がきれいになってる」  陽介からダウンジャケットを受け取った祥江は言った。 「あ、泥落としときました」 「すみません! そんなことまでしていただいて」 「構いませんよ。僕、時間があれば、お送りしたいんですけど、今日は五時から仕事なんで」 「そんな、とんでもないです。散々お世話になって。一人で帰れますから」

          「山寺へ」第2話