表組み至上主義を終わらせる
デジタル庁:幹部等人事が決定しました
https://www.digital.go.jp/posts/kMccIpBR
PDFを開かないと情報が伝わらない
役所の記事でPDFを貼ることには、考える必要があると思う。原本としての一次資料としてリンクするのは価値がある。ただ、PDFを開かないと内容を確認することができないのは、特にデジタル庁としてどうなんだろう。これだけが悪いわけではなく、役所のサイトの標準的な表現方法になっているけど、それを変えるためのデジタル庁だと思うので、まずデジタル庁が新しい表現手法を提案していくべきだと思うのだ。
表組み至上主義はやめよう
問題はファイル形式ではなく、なぜそうしなくてはいけないのかという部分を考える必要がある。役職・人名程度のことで表組みで表現してしまう慣例そのものをやめることが必要なんだと思う。
PDFの添付ファイルを引用すると以下のように、枠線はないが表形式に表現されている。もう一つのファイルは、枠線付きの表組みになっている。
列の見出しとして新・旧・氏名と書かれているが、これはここにしか書かれてはいない。この資料は7ページあるのだが、7ページ目だけ見たら、中央の列が旧職を表していることはわからない。
また人事で重要なのは、誰がどの職に就いたのかだと思うが、この表現方法ではわかりにくい。
これを単純にテキストで表現すると、以下のように表現できる。
デジタル審議官 赤石浩一
旧職:内閣府科学技術・イノベーション推進事務局長)併任 内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付) 命 内閣官房情報通信技術(IT)総合戦略室長代理(副政府CIO)
テキストでも十分に表現できるし、アクセシビリティ的にもこのほうが良いのでは。誰がどの職に就いたのかも明確になるし、重要度の強弱もつく。表組みの列の見出しの影響もないので、ページが進んでも同じ情報の伝わり方になる。
PDFのなかに表組みで記述されているのと、HTML上にこのようにプレーンテキストで表示されているので、どちらが伝わりやすく、だれにでも伝わり、再利用しやすく、検索しやすく、データとして蓄積しやすいかということを考えて、旧弊を変えていくことがデジタル庁の役割なのではないかと思うのだ。
システムを開発するのも必要ではあるけど、デジタルの情報としてどのように記述し、発信していくか、それを効率的に行うかという、シンプルなテキストデータの作り方という部分が実は重要だと思う。その新しいモデルを作って、非効率な旧い慣習を変えていくことは、社会のすべての状況に影響を与えることになる。
官報の書式というような制約があるかもしれないが、デジタル庁は「省庁横断でデジタル化を進める権限を持つ組織」ということなので、「紙が基準」から「デジタルデータとしての使いやすさ重視」へ変えることを検討するべきだし、その権限はあるはず。
シンプルにテキストで表現する
なんでも表組みにしてしまう傾向というのは、ワープロ普及期あたりからのように思う。パソコンの時代になり、Microsoft Wordは、基本的には表組みには向かないワープロソフトで、英文の文書ではあまり使われないのに、なぜか日本では情報を表組みで表現することが続けられ、表計算ソフトのExcelをレイアウトのために使うようなことまで行われてきてしまった。
もちろん、表組みのほうが適している情報もある。しかし、現状では表組みにする必要のない情報も表組みにしてしまっているケースがあまりにも多い。また、音声による読み上げというのは時間的に一次元なので、表組みのように二次元で表現してしまうと、アクセシビリティ的にはマイナスになることが多いだろう。
この状況を変えていくには、表組みを使わなくてもこう表現できるという事例を見せていくしかないのかもしれない。こういう部分を変えるのが一番むずかしいということはわかる。そういう意味では、デジタル庁のようなところが率先して、人の目や耳にも、デジタルデータとしても、伝わりやすく、扱いやすく、蓄積しやすい表現をしていくことが重要なのではないかと思うのだ。「シンプルにテキストで表現する」なんていうことは、あまりにも当たり前なことなのだけど、実はそのほうが伝わりやすいことは多い。人が話すときは、そうしているのだし。
表組みの資料を作るために時間をかけるとか、もういい加減、そんな邪悪なことはやめよう。
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