【宿題論】本田選手と武藤選手の討論に対する、僕の考え。
皆さん、こんにちは。
昨晩Twitter上を賑わせたこのサッカー界のスター2人の討論、ご覧になったでしょうか。
まず結論から話しますね。
僕がこの2人のツイートを見て、考えを要約すると、
「夢を持っている子供が、その夢を叶えるために宿題が必要でないのであれば、宿題はしなくていい。ただ、その判断は子供にはできないのでは?」
ということですね。
武藤選手も、「夢を持っている子供が、その夢を叶えるために宿題が必要でないのであれば、宿題はしなくていい。」という部分についてはおおむね共感しているように読み取れます。
その上で武藤選手が問題視しているのは、その後の「ただ、その判断は子供にはできないのでは?」という部分ですね。その結果、「本田選手がこう言っているから、宿題はやらなくていいんだ。」と短絡的に考えてしまう子供たちが増えてしまうのではないか、という懸念をしていますね。
その後、本田選手は続けてこのようにもツイートしています。
なるほど。確かに、目的もなく、ただ精神修行のために宿題をやり続けるのは、「宿題の本来の目的」からは逸れていますね。
では、「宿題の本来の目的」とはなんでしょうか・・・?
私は宿題は必要と考えます。
私は小さい頃から、「勉強をしておいたほうが、将来の選択肢が広がる」と両親から教えられてきました。
私の人生を振り返った時、この言葉が当てはまるのが一回だけあります。
それは、「たまたま進学した県内2位の進学校の高校が、バスケットでも県内2位だった」ことです。
そうです。「たまたま」です。
ただ、選択肢がどう広がるかも、その選択肢の中で何を好きになって、どう極めるかなんて、すべて「たまたま」決まるような気がするんです。
私はバスケットが県内2位の高校に入学したことで、高校時代は勉強よりもバスケットに打ち込みました。勉強は正直、テスト期間に詰め込んで、なんとか赤点を回避しているような状況でした。
この高校時代に、私は一つの夢を持ちました。
「大人になってもバスケットがしたい。でもプロは無理だから、実業団チームで働きながらプレーしたい。」
結論から言うと、私はこの夢を叶えています。
高校3年の7月にバスケットを引退してからは、学力での大学入試合格を目指し猛勉強していましたが、結果的に国立大学からバスケ推薦をいただき、その大学に進むことにしました。
(私の高校のバスケ部の顧問の先生は、「大学は勉強で行け。お前らはバスケットでは飯は食えない」という考えの先生でした。そのため、学力的に頑張って勉強して入るレベルの大学でないと、バスケ推薦の話が来ても、生徒には言わないようにしていたそうです。)
その後大学では、地方予選を勝ち抜いてインカレにも出場することができ、同時に就活も並行して行ったことで、結果としてバスケチームを持っている現在の企業から内定をいただくことができました(バスケ選手としての入社ではありませんし、就活途中までこの企業がバスケチームを持っていることすら知りませんでした。その話も後日書きたいなと思っています)。
長くなってしまいましたが、上の要約に私の考えを追記してまとめると、
「夢を持っている子供が、その夢を叶えるために宿題が必要でないのであれば、宿題はしなくていい。ただ、そうでない子は、与えられた宿題に全力で取り組むことがまずは必要。夢というゴールがなければ、自分に宿題が必要か必要でないかは分からない。」
ということになりますね。
まあ確かに、「必要か必要でないか分からないこと」を強制されるのは、子供としては嫌でしょうし、本田選手は、そこに時間を使うなら、サッカー(で世界一になるという「夢」)に時間を使う方が有意義だと言いたいのでしょうね。
最後にこのnoteをまとめると、
本田選手、武藤選手どちらの考えの人もいていいし、必要だと思いました。
本田選手はマクロな、長期的な視点で「宿題」を捉えていて(何も今すぐなくせとは言ってないですからね)、武藤選手はそれが子供たちに短期的な考えで捉えられることを危惧しています。
いずれにせよ、「何が何でも宿題をやれ。大学に行け。これをしろ、あれはするな」という大人にはなりたくないですね。