本厄祓い
先々週とちょっと前のことになるが、国府宮神社に本厄の祓に家族と行って来た。前厄は地元の神社で済ませたが昨年の秋とだいぶ遅く、本厄は本厄だけに有名な神社で行おうと国府宮神社で年始の極寒の中出向いた。
本厄については42歳ということでたいそう縁起の悪そうな数字でもあり昔から必ず厄祓いをしようと考えていたが、前厄の年の終盤に厄は数え年で数えるということを知り、慌てて去年は厄払いをして、数え年42歳の今年ははやめに厄祓いを行った。
極寒の日であったので家族は車に待たせて自分だけ先に神社に入ったが、待つことに痺れを切らして途中で待機所に入って一緒に祈祷を行った。やはり地元の神社とは違い、祈祷を行う人は多く、一人一人住所と名前を呼びあげながら祈祷が行われ人数の割にはスムーズにはやく済んだ印象だった。全てが厄祓いの人ではなさそうだったが、名古屋市から来ている人が多く、年齢は36歳というのをよく読み上げで聞いたから厄祓いに来ている女性が多かったのかもしれない。そんなことを言ってはなんだが、地元の神社よりも持ち帰りの品物が少ないなどより効率的であったのは良かった。
厄については迷信のようなものであると知っているが、年齢的に体にガタが来始める時というのもありあながち全くの迷信でもないという思いもある。厄祓いをするのは厄祓いを済ませたという安心感が日々の安定をもたらすから意味があるのではないかと勝手に考えている。
本来、お祓いや祈りとは静粛の中で時間をかけて心を静ませ心をリフレッシュさせることに意義があるはずなのに、効率性を求めていたことにより自分が時間を惜しみ効率性ばかりを追求する現代人になりかけていたことにも気づいた。
国府宮神社は子供の頃からよく聞いた神社であったが、実は今回が自分にとって初めての訪問だった。想像よりは小さかったが趣があった。そんな国府宮神社で裸まつりがまもなく行われる。この最も寒い時期に裸になって祈りを捧げるというのは全くもって非効率、非科学的と捉えられるが、何か大きな意義があるに違いなく、自分も時間を惜しまず、自分を捧げられるような人間にもなりたいと思う一部の自分がいたのであった。
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