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【鶴になった父ちゃん】

親父さんの話が多く出てきてメソメソしているかもしれないが、やっぱり少し時間に余裕が出てきてシンミリしてきているのだろう。特に実家に帰った時は遺影とお骨があるからシンミリしてしまいがちである。

年末の飲み会や食事会が多くなり、太り気味にはなっているので、土曜と日曜の夜に5kmずつ走った。走る前は気合を入れないといけないので何か良い音楽のコンテンツを準備する。そこで、シンミリしていたこともあり、久しく聞いてなかった長渕剛さんの歌を聴こうと思った。

いつものように「とんぼ」などのお馴染みの曲を聴きながら、ちょうど親父さんも亡くなったこともあり「鶴になった父ちゃん」という歌を聴いた。長渕剛さんは先に母親を亡くされ、その後父親を亡くされた後の話で、鹿児島の海岸にバイクで二人乗りで連れて行ってもらい、15,000羽の鶴の光景を思い出し、父ちゃんが鶴になったという歌詞である。できるならまた父ちゃんに会いたいとも言う。


前からちょくちょく聴いていた歌でもあったが、走りながら涙が出てきた。聴いていた音源は富士オールナイトコンサートLIVEバージョンで、歌う前に語りがあり、母親が亡くなった時は半分自分がいなくなったよう、両親を亡くした時は透明人間になったようと、親は亡くなった後からいろいろ教えられることがあると言っていたのは、少しずつ自分も今感じ始めているところでもある。自分も小さい頃一緒に寝て不安だった時、手を握ってもらったり、野球場に連れていってもらったこと等を思い出した。

ありがたさという意味では、最後寝たきりになるわけでもなく、何か家族には迷惑をかけずに逝くということは、あの肺炎のつらさにもかかわらず、お見舞いに行った時に「ありがとう」と自分に言ったことから感じられることであった。ある親父さんと同年代のお客さんには「いいお父さんを持ったな」と言ってくれたことが非常に印象に強く残っている。


そう言えば、自分は会社で毎日見ていたし、母親の次に最近では一緒に過ごした時間が長かったものであるから寂しくなるのは当然だと思った。自分は8月に親父さんが肝臓の数値が悪くなり、病院に連れて行ったり、リハビリの手配をしたり、奔走したということにより、わずか3ヶ月でも食事を楽しませてあげられたというのは少し自分の心の傷を癒す。

長渕剛さんの歌に関しては、若い頃、東京に出てきて、とったばかりのカーライセンスで羽田空港に親を迎えに行くという「LICENSE」という歌は自分が東京にいた時と話が重なり、父親が亡くなる前にも聴いて親についてシンミリ感じていた歌で、週末に聴いた時は尚更シンミリ感じさせられた。長渕剛さんの歌は家族の歌も多く、本当にいい歌詞ばかりで良く、今後は別の角度からちょくちょく聴いていきたいと思った。親父さんがお世話になった人もこのブログを読んでくれている人がいるので、しばらく親父さんの思い出話を展開していってもいいのではとたまに書いていきたい。

#長渕剛 #死別#鶴になった父ちゃん#LICENSE#父親




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