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家族は喧嘩しながら成長する/Families grow up with fighting

妻とはよく喧嘩をする。特に子供の教育という点について、大きな分かれ目になってくるというのは多くの夫婦で見られることであろう。何故かと考えると、子育ては大変であり、かなりの時間を費やし、子供への思いが日に日に強くなってきて所有欲が強くなり、教育にかかるお金というのは大きいからである。

大概、母親は教育熱心で、父親はできるだけ自由、言い方を悪くすると放置、そしてできるだけお金は自分の人生のために使ったほうがいいという考え方、自分の家庭はそちらに当てはまる。もちろん逆のケースもある。

自分の家庭も子供が小学校に入るまでは、家事の分担などでの喧嘩が主であったが、小学校に入った後は教育に対する考え方の違いによる喧嘩が見られるようになった。

そういった喧嘩で歩み寄りがなくなれば破綻になるということであろう。ただ、喧嘩して気づくのは、お互い言い分があって、譲れない部分もあるだろうけど相手の言っていることも相手の状況からの要求として認め、理解してあげながら、譲歩していけばConcensusというかある程度同じ方向を向いていくことができ、喧嘩したほうがよかったということが多くある。

物事には裏表があると理解して、いい方向に捉えられるかということである。例えば、妻が教育に多大なお金を使いたいとする、そうするとお金は減ることになり、メリットとして、夫婦は生活の質を下げようとして、節約につながる。お金を使わないということはデメリットもあるのだけれども、生活の質を上げるというのは中々元に戻すことが難しいリスク要因となり、無駄な支出というのは意味ないと考えると、メリットとなるだろう。

仕事でも、安かろう悪かろうなど値引きした分サービスが下がってくるなど物事には裏表がある。だから、目の前の損得勘定にとらわれず、考えられるかという柔軟な考えは生きていく上で大事な要素と考える。仕事でも家庭でも、物事を動かしているのは人間であるから、そういった人間関係の立ち回りの仕方を覚えるのは人生の上で大事な要素であろう。

全く歩みよりができず異質の夫婦ということもあり得るからそういった時は離れたほうがいいときもあるが、大抵の場合は、物事を白か黒かで決めずに、歩み寄りでなんとかなることが多いと思う。そして、そういった喧嘩を繰り返すうちに夫婦はConcensus、共同理解というものが生まれ、考え方も似てきて、よく夫婦は顔が似てくると言われるように、顔も似てくるというのもあるのかもしれない。

橋田壽賀子さんが亡くなられた時に、テレ番組の回顧で目に止まり忘れられないのが、「家族は喧嘩しながら成長する」という言葉であった。喧嘩をする度にその言葉の意味が少しずつわかり初めてくるのであった。

#家族 #喧嘩#Concensus#橋田壽賀子#子育て

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