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ひそかな旧正月を迎え

今週、ひそかに韓国や中国では旧正月を迎え多くの人が大きな祝日として過ごし盛大に祝った。日本では戦前から陰暦の風習がなくなっていって普通に過ごしていると全く気づかない昔のものになってしまった。

妻が韓国人で、妻の姉が子供達の勉強のためにアメリカに住んでおり、いつも韓国の祝日もアメリカの祝日と同様に祝って、今回その甥っ子からビデオでの旧正月の挨拶が送られてきて、旧正月を認識した。多国籍に人とつながると、そういった日本にない祝日を感じたり、いろいろな角度から物事や季節を感じられたりしていいことも多くある。

旧正月を迎えると、まず子供達は土下座をして目上の近親の人に挨拶をするのが慣わしである。今回もそのビデオの中で、我々と他の親戚の人にそれぞれ土下座で挨拶をするビデオを送った。韓国は儒教の文化が根強く残っているから、目上の人に対する敬意を欠くことはとても失礼に当たる。本当は自分も土下座で返事を返したいぐらいだったが、ただ自分はビデオを見ただけで特に返事ができなかったことに申し訳ない気持ちが残った。

日本も年齢による上下関係はあるが、今の小学校などを見ていると、自分の頃とはだいぶ上下関係の垣根がなくなってきているように思う。自分は生意気だが、どんなに社会が欧米化してきても、年齢、特に学年が一つ上であれば敬語を使うようにしているのは、その国の独特の文化というのも大事であると思い、また育ってきた時代環境の影響が大きい。特に自分は学生時代、野球部だったというのもある。最近では年下でも親しい間柄でなければ敬語を使うようにしている。

今考えると年齢による上下関係というのは何の意味を成すのかはわからず、歴史や宗教を勉強しないとわからないが、物事には必ず理由があるはずである。おそらく習慣には時代背景があり、今の時代には意味をなさないものである可能性が高いのだろうとも思う。今の自分の考えでは、生きている中で無駄なことは一つもなく、それを多く経験している人に敬意を表すということに意味があるのかもしれないと思う。

年齢による上下関係が小さくなりつつある日本でこのように年下から時々丁寧に挨拶を受けると悪い気はせず心に響き、自分の中にまだ年齢による上下関係に敬意を表す心が残っている日本人であると感じたのであった。

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