【朝にルーチンを終わらせることによってわかったこと】
朝起きてから、新聞を読む代わりにブログと語学の勉強の時間に充ててから、日中はフリーに過ごせる時間が増えた。
たとえ日中の隙間時間にブログを書いたり、語学を勉強してもその毎日のルーチンを終わらせるプレッシャーはあり、わざとそのための時間を作ったりしている時もあり本末顛倒な部分もあった。
だいたい15〜30分でブログを書き終えていたつもりだったのだが、朝にブログを書く時間を与えることによって、語学の勉強やブログを書くのにどれだけの時間がかかるかというのがより明確になり、けっこう思ったより時間がかかっている時もあることがわかった。日中であると、開始時間が不規則だから結局どれくらい時間がかかっているかわかりにくいからである。朝であれば、起きてだいたいすぐに始めるから起きた時間くらいは覚えていて、そして、朝の支度の開始時間ははっきりと決まっているから起きた時から支度の開始の時間までにどれたけ使ったかがわかりやすいのである。
そして、日中がフリーになることにより、ざっと新聞を読むこともできるし、振り返ると、けっこう義務に追われることはつらいものだと思った。利益を直接的には生まないような自分で課したルーチンでなければ、罪悪感のようなものはないのだが、個人的にしているものはどうしても日中にそのような活動をすると罪悪感を持ってしまいがちである。ブログや作家として稼いでいる人であれば書くことが日中のフリーの時間に行われるのであろう。ただ、利益を生むか生まないかで判断しているというのはお金を追いかけているという利己的なところがまだまだあるのかもしれない。他者に直接的に貢献しているということが罪悪感を生まないのかもしれないが、何が正しいかはわからない。
いずれにせよ、日中にフリーで動けるようにしたおくのは活動しやすいし、それで気分がいいのであればそうすればよく、基本的にはやりたいようにやっていった方がいいと考える。勉強であれ、仕事であれ、どちらも楽しめるようになっていけば最高である。