義理人情の街大阪
先週に大阪で触れる日本の美しさということを書いた。名古屋に戻ってきてそのことについて頭の片隅にぼんやり残っていたのでしばらく考えてみた。というのも、梅田に限らずデパート、高層ビルやホテルなどでの接客など比較的マニュアル化された場所で人と触れる際、小さい頃に触れた、大阪のおばちゃんに代表される厚かましさとか、大阪独特の風情らしきものに触れる機会はなく、東京や名古屋などの同じ大都市の人との違いがあまり感じられなかったからだ。
一方、ネジ屋が集まる九条周辺の下町では、商売の話が多かったので笑いはそれほどなかったのだが、商売に対する心構えのようなものを強く感じて、それはちょっとどちらかというとドライな関係な名古屋には最近見られない何かだと思ったのだ。その何かをぼんやり感じていたのだが、その何かを表す言葉がみつからず、今日ふと考えてみると、それは「義理人情」であることがわかった。
昨今では、「義理人情」という言葉すら耳にしなくなったので、その言葉自体忘れていておもいつかなかったのだが、おそらくそれではないかと思った。「義理人情の街大阪」、最近では古い価値観のように見られてなかなか口に出しにくい言葉でもある。
大阪では、名古屋の商売は手堅く堅実であり、大阪の商売の方が上っ面だと謙遜される大阪の方もおられた。名古屋の商売が信用がないということではなく、大阪よりは田舎だけに閉鎖的な部分もある一方その分ドライに見えて商売が手堅くなる部分があるのだろう。反対に大阪は、義理人情に厚く人を受け入れやすいが故に裏切られたりすることも多くなるという部分もあるのではないかと思った。その人を受け入れやすいという部分と人間関係を大事にするというところにやさしさというか日本の美しさのようなものを感じたのかもしれない。
東京と名古屋に長く住んできた韓国人の妻に対して、大阪に行く時に、自分の好きな映画を見せたい時と同じように、韓国人に似た、情熱、ユーモアとやさしさに溢れた大阪の人の味わいを知ってもらいたいと常々思う。ただ、いつも感想を聞くと、東京と名古屋とそれほど変わらないというような感想ばかりであったのは残念であった。そして、今回の大阪の旅行でも特段こちらが望んだそういった感想はなかった。
梅田や難波などの繁華街に行くことが多かったからなのか、それとも現代の都市化、均一化とグローバリズムにより昔ながらの大阪の人の特徴が薄れてきたのか、それともただ単に旅行だけでは触れにくい部分なのだろうか。それは興味深いことであり、そして、もっともっと特に大阪の下町に行く機会を増やし大阪の人を知ってもらいたいと思わせた旅でもあった。
#大阪 #日本の美しさ#デパート#都市化#大都市#名古屋#東京