交通当番と公衆、そしてマスク
今日はもう何回目かの小学校の交通旗当番だった。学校の前の横断歩道で車を静止して、児童を横断させる役割当番である。最近では、横断歩道の前で歩行者が待っている時には、必ず車は止まらなければいけないというルールを特に気にしている。自分が歩行者であれば、ルールを知っているからこそ、堂々と渡り、車に乗っている時は、横断歩道の手前で止まる。
なので、横断歩道の前で止まらない車をみるとだいぶ嫌な気分になる。いつか、自分が横断しようとしている時に、止まらなかった車を隠れていた警察が見つけてサイレンが鳴るのを見たいという嫌らしい願望を持っている1人でもある。
前回の旗当番では、二つの横断歩道のうちの一つの担当の方が、子どもたちを静止させて、車を先に行かせたのが気になり、「車を先にいかせると車が違反になってしまうから車を止まらせて子供達を先に渡らせた方がいいですよ」と言った。
今回、また同じことを言わないといけないかと思いながら、当番をしていたら、案の定、もう1人の担当の方が車を先に行かせて、同じことを自分が言ってしまった。後で来た校長先生にそのことを聞くと、車もあまり長く待たせるとイラつかせるし、たまに見に来る警察官もその場合は車を先に行かせても良いと言ったそうで、柔軟さに自分の中で欠如していたことに気づいた。
自分はどちらかと言うと、交通当番の責任はっかりと果たさなければと思っている方で、他よりもやる気を持っていると見せたがりで、少し傲慢になっていたのかもしれない。このことから、自分の価値観のおしつけというものがでてきており、外目からは、自分もたまに目にする正義感の強さを後ろ盾に、融通の利かない変な人に自分もなっていると気がつかねばと思った。これは、マスクを他人に強要する人と何ら変わらないのではといったことである。それを思って、校長先生ともう1人の担当の方には「ややこしいこと言ってすいません」と謝った。校長先生は「いえいえ、いつもありがとうございます」と言ってくれたのだが。
これが自分の傲慢さだけではないと言えることがあれば、アメリカでは、横断歩道歩道の手前では歩行者がいれば必ず車は止まらなければならないという習慣が浸透しており、日本もより歩行者を優先する習慣がついてほしいと思っているからというのがあるのかもしれない。日本は、外国に比べると、受動喫煙についても配慮が小さく、公衆の秩序のようなものはあまり良いとは言えない。だから、そんな外国の良いところを見習ってほしいという思いがある。
ただ、あまり、窮屈すぎると社会はよくないから、自分もそういうものを許容していく大きさも必要なのかもしれない。そういったことを許容していくことで、マスクを強要する人に対しても自信をもって、「マスクをするかしないかは個人の自由です」と言えるのかもしれない。まずは、自分の許容を大きくしてからだと言い聞かせた。
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