時代を貫いた古墳たち「上侍塚古墳・下侍塚古墳」(栃木県大田原市)
古墳は、古墳時代に築造されたものでありながら、古墳時代以降の時代にも地域社会とともに存在したものがあります。
このシリーズでは、そうした古墳たちに光を当てていきます。
※写真は下侍塚古墳
上侍塚古墳・下侍塚古墳とは
上侍塚古墳・下侍塚古墳(以下、侍塚古墳)は、栃木県大田原市湯津上地区(古代の下野国那須郡)、南流する那珂川右岸の河岸段丘に立地する古墳です。
この古墳は、古墳時代前期に築造された後、千年以上の時を経て徳川光圀の関与によって発掘調査がなされた古墳として有名です。
古墳時代の上侍塚古墳・下侍塚古墳
侍塚古墳の基本情報は、次のとおりです。
【上侍塚古墳】
墳形:前方後方墳
墳丘全長:114m
高さ:後方部約12m、前方部約7m
時期:4世紀後半
【下侍塚古墳】
墳形:前方後方墳
墳丘全長:84m
高さ:後方部9.4m、前方部5m
時期:4世紀半ば
那須地域には、この他にも4基の前方後方墳があり、それらについては眞保昌弘『侍塚古墳と那須国造碑 : 下野の前方後方墳と古代石碑』(同成社、2008年)で詳しく記述されています。
眞保氏は、これら前方後方墳や主要な遺跡の分布から、那須地域では6つの前期古墳群の分布があり、集団や地域ごとに輪番的な首長権が存在した可能性を想定しています。
近世における上侍塚古墳・下侍塚古墳
侍塚古墳は、17世紀の那須国造碑〈再発見〉を発端として発掘調査がなされたことで知られています。
那須国造碑の〈再発見〉については、拙稿「那須国造碑を読む」(那須文化研究会編『那須をとらえる4』随想舎、2016年)や「近世における「再発見」時の那須国造碑とその周辺」(『歴史と文化』26、2017年)で論じています。noteでも、そのうち紹介するかもしれません。
侍塚古墳の発掘に至る経緯を簡単に説明すると、次のようなものです。
・延宝4年(1676)、旅僧の圓順によって那須国造碑が〈再発見〉され、那須郡武茂郷小口村の大金重貞がそれを自著『那須記』に書き留める。
・天和3年(1683)、徳川光圀が水戸領であった武茂郷馬頭村を訪れた際、重貞に『那須記』を献上させる。
・貞享4年(1687)、『那須記』によって那須国造碑の存在を知った光圀は、重貞に那須国造碑の保護を命じ、佐々介三郎宗淳(『水戸黄門』の助さんのモデル)を光圀と重貞の連絡役とする。
・介三郎は、那須国造碑に刻まれている人物の墓を探し、那須国造碑があった「塚」を掘らせたが何もなかったことから、「くるまづか」(侍塚古墳)が本来の墓で、後に石碑だけが移動させられた可能性を想定し、侍塚古墳の発掘を行った。
この発掘の際、介三郎は、水戸から画師を派遣して出土品の絵図をとらせること、出土品を箱に入れて元の場所に納めること、侍塚には小松を植えることなどを重貞に書簡で指示しています。
その際の絵図や記録(どこをどれだけ掘ったら何が出てきたか)は、重貞著の『湯津神村車塚御修理』に詳述されています。
この侍塚古墳の発掘は、那須国造碑の碑主の解明という目的をもってなされたこと、出土品の記録がとられていることなどから、日本で最初の学術的な発掘調査とも言われています。
古墳を守る人々
現在、侍塚古墳は、「侍塚古墳松守会」という地元のボランティア団体によって、日常的な手入れが行われ、保護されています。
「松守会」という名は、黄門さまが植えた松を守る、という思いから名づけられたと聞いています。
松守会による毎年のこも巻き・こも外しは、地域に冬や春の訪れを告げる風物詩として定着しています。
また、あまり目につかない活動ですが、定期的な下草刈りが行われ、下侍塚古墳では日常的な枯れ枝の除去も行われており、それによって美観が保たれています。
もちろん、松が根を張ってしまうと墳丘を傷つけることもあるため、現在では新たな植樹はしていないようです。
しかし同時に、その松は古墳時代から江戸時代を経て現代に生きる侍塚古墳の重層的な歴史性を示すものとして欠かせないものでもあります。
墳丘の損傷に気を配りつつ、侍塚古墳の松を守っていこうという取り組みを、私は応援したいと思います。
最後に、森浩一『古墳の発掘』(中央公論社、1965年)の中で、下侍塚古墳について言及している箇所をご紹介しておきます。
私はこれまで天皇陵をも含めて多くの古墳を見てきたが、そのなかでいちばん美しい古墳を一つえらべといわれたら即座に下侍塚と答えよう。上侍塚もよく保護されているが、付近の人たちによって毎年、下草が刈りこまれている下侍塚こそ、日本の古墳の白眉である。光圀の配慮はこんにちも継承されている。
古墳時代から江戸時代、そして現代までの時代を貫いて存在し、地元の人に愛されている古墳の一例として、ご紹介しました。
なお、大田原市なす風土記の丘湯津上資料館で、出土品や江戸時代の発掘の経緯について展示していますので、気になる方はぜひ訪れてみてください。