中村 彝(なかむらつね)とウクライナ生まれのエロシェンコ
日本近代の肖像画の傑作である中村 彝作「エロシェンコ氏の像」(国立近代美術館蔵 1920年)のモデルは、ヴァイスリー・ヤコヴレヴィチ・エロシェンコ(ウクライナ語:Василь Якович Єрошенко 1890-1952)。日本では、ロシアの作家、言語学者、教育者として知られるが、ウクライナに生まれている。
4歳で麻疹により失明し、9歳でモスクワの盲学校に入り、日本では視覚障碍者がマッサージ(あんま)により自立していると聞いて来日、東京盲学校(現在の筑波大学付属視覚特別支援学校)卒業。いったん、タイやミャンマーなどに行くが、1919年に再来日。新宿中村屋で日本の文化人や芸術家と交流を重ね、恩義ある中村屋にボルシチのレシピを教えている。同じく中村屋の創立者相馬愛蔵・黒光夫妻に庇護を受けていた画家中村 彝(1887-1924)は1920年第二回帝展に「エロシェンコ氏の像」を出品。中村 彝とエロシェンコについては加藤健亜氏との共著『光芒ー夭折の天才たち』(2010年里文出版)に書いたが、エロシェンコをロシア人と記したが生まれはウクライナではなかったかと今朝ふと思い出した。
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