「愛してる」って言われたら、黙るのはやめよう、それはやめたい、ホトトギス
前回、あいあい頭の中がうるせいやい、と書いた
この「あい」は、
世間一般的にいう恋愛関係においてのものにちかく、愛のほんのひとかけらのことなんじゃないかなって感じている。
⇒前回記事「あい、あい、頭の中がうるせい、落ち着いて。」
https://note.com/yoshie_moriyama/n/nc015fe876afa
ほんとうのところ、数か月前まで私の中の辞書に「あい」という言葉はなかった。
愛するということが昔からよくわからなくて、
I LOVE TOKYOとかのTシャツくらいしか理解が追い付いていなかったし、
恋人から「愛しているよ」と言われたら、黙った(失礼なやつ)。
数年前に一度、愛したかもしれないという男性がひとりいたが、
結局うまく愛せなかったのかもなという思いから、
ますます「あい」が口をついて出ることは、まったく多分なかった。
(たぶん数か月前まで愛ということばを口に出したこと、数えるくらいしかないんじゃないかな、人生のなかで)
以前、「付き合う」という意味について広辞苑で調べたことがある。
広辞苑には、
付き合う:まじわる、交際する とあり、
交際する:付き合い とあり、
まじわる:交際する と。
無限ループであることが発覚。
わたしにとって、こんな頭があいあい言いはじめて、あらゆるものに対して、チャラ男のように愛してるなと言うようになっても、
頭の中の辞書には「あい」についての記述はなく、
この「付き合う」とおなじようにまったく定義なく直感的に発言していることを、ここで謝罪します、ごめんなさい。
***********************************
あい、
それは
いま、この一瞬の流れ行く時間に出会う、草花の生命。
工場のコンベアに乗って組み立てられる車でさえ、
おなじ場所、
おなじ設備、
おなじ人
おなじ一瞬にはつくられはしないという、奇跡。
そして、それぞれがそれぞれの役割をはたしてできあがる世界。
ガソリンスタンドで車を送り出してくれる、あのかわいらしいひとの笑顔。
******************
あい、
それは
わたしの内側が外に見せた
ただの柄
缶詰の薄汚れたラベル
****************************************************
あい、
それは
わたしたちの内側が外に見た、
すべてたましいたちへのあふれでる感情
わたしたち、ひとりひとりじしん。
古ぼけた缶詰のラベルが過ごしてきた時に想いを馳せること
通り過ぎた、看板にさえもここの顔があることに気づく感動。
**************************************
あい、
それは
ことばにした瞬間
交わらない寂しさで
身体の中のどこか、ほんのすこしだけ滲むもの
そのこわさから、
喉の2センチ下でうずくまっているもの
***************************
あい、
それは
あいした人たちが、あいじょうをかたむける姿をななめ45度から見つめているとき。
あいしている人がじぶんを愛したときにつらくならないように、120パーセントでぶん殴ること。
踏みつけること
ひとつも記憶がなくなるほど。
すがりついて泣きながら抱きしめるゆめをみたとしても、たとえ、
嫌われて忘れ去られてもいい、人生のなかでえいえんに、その、衝動。
**************
あい、それは
星屑の海で
なんどもなんども触れてきたひと
たっている場所がわからなくて、
じぶんのなかに求めて、
見失って、
いつも抱きしめられなかったひと
そのときを想って、ただよう、このかんじょう
たいせつなひと
*********************************************************************************
あい、
それは
みちみちたたましいで立つじぶんじしん。
じぶんがじぶんでいなかったことに気付くこと
じぶんを愛してはじめて外側に感じる
すべてのそんざい。
おわり