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おやすみ、パオ

 ひとり娘が嫁いだ。
 家には妻と私と、そしてぬいぐるみが十体、残された。
 結婚して四十年、いろいろあった。
 最初に就職した会社を十年で辞め、続く会社もすぐに辞め、辞め始めると癖になる。ほかにもっといい仕事がある。自分に向いた仕事があるはずだ。そんな思いが頭をよぎり、そのことだけになってしまい、目の前の仕事が雑になり、やがて今の仕事を辞めて次の職場に移ることになる。
 こんな暮らしを十五年続けた。
 やがて会社を立ち上げ、ここが一番自分に合っている職場だ、なんて思いこませて自らを奮い立たせて結局ここも十五年がんばった。社員が十名になり景気の良い時期もあった。しかし、売り上げだけが大きくなって利益がほとんど出ない困った体質を変えることができずに、結局、会社をたたむことになり、銀行への借金が返せずに清算ではなく倒産することになった。実は会社を始めてすぐに債務超過となり、いつ倒産してもよい状態で、それでも十五年間、だましだまし走り続けた。停めたら終わる、とぎれることのない不安にさいなまれる中、懸命に自転車のペダルをこぎ続けた。
 しかし、懸命な走りも十五年後、終わることに。自転車の車輪がついに停まった。
 家も車も財産と呼べるものはすべて目の前から去った。自己破産した。ディーラーが車を引き取りに来て「こちらの車ですね」とか言って私から無表情でキーを取り上げ車に乗り込んだ。遠ざかる車の後姿をひとりで見送った。バイバイと手を振ったかもしれない。そのときのことが忘れられない。
それでも自分の命と家族の命は守ることができた。
 今は、借金から解放されて、友人の会社でお世話になっている。スタッフも前の会社から数名連れていった。もう四年になる。
年金も一部だがもらい始めた。
 友人の会社で自分はいつまで働かせてもらえるだろうか。そんな心配がときおり頭をかすめるが、幸いなことに健康だけは維持できている。もともと酒もたばこも嗜まない。会社がきつくなってきた終いのころからは酒をやるようになったが、生まれつき飲める体質ではない。寝る前に少しだけ頭をぼんやりさせてストレスをごまかす酔い方を続けてきた。
「財産はなくなったが今は幸せだ」そう自分に言い聞かせてきたが、最近はほんとうにそう思えるようになってきた。
 三DKの団地に、妻と私と、娘がおいていったぬいぐるみが十体、いっしょに静かに暮らしている。夫婦二人なら十分な広さだ。団地の家賃が八万円なので、私が働きを辞めるととたんに暮らしは難しくなるだろう。
 妻はパートに出ているが、年上の妻はまもなく七十歳を迎え、持病もあることだから、あと数年でパートを辞めることになるだろう。年金だけの老後の生活を考えると不安になる。私の年金が百八十万円。妻の年金が八十五万円。仕事をせずに果たして家賃を払いながら暮らしていけるだろうか。
 七十歳まであと三年ある。こつこつと準備を始めることにしよう。できれば娘夫婦のアパートに近いところに住みたいが、娘夫婦は転勤もあると聞く。あまり頼りにしてはいけない。
 食費から切り詰めるしかない。勤めを辞めたら、朝はご飯一膳にインスタントの味噌汁。昼は、そばを茹でて薬味に大根おろし。夜は、ご飯一膳に、少し贅沢して肉の入った野菜の炒め物。ご飯は夜炊いて翌日の朝昼二食分にあてる。妻と食卓に向かい合ってこの生活を続けよう。続けられるだけ続けよう。テレビがあれば退屈さはしのげるだろう。
 病気になったらどうするか。勤めている間は何とかなるが、仕事を辞めてしまうと、医療費が負担になることは目に見えている。妻は持病があり定期的に医者に通わねばならない。私は逆流性食道炎があるが、今のところは胃薬をたまにもらうだけで大したことはない。
 やはり七十五歳までは働きたい。今の暮らしを続けるには七十五歳までは勤めたい。見た目七十歳くらいに見えれば、何とか七十五歳くらいまでは会社に居させてもらえるかもしれない。倒れたところで人生終わりにしたい。……「倒れて終わる」そんな生き方が贅沢なものに思えてくる。
 私が倒れたら妻はどうなるか。今の家賃では暮らせない。もっと安いところへ行くことになる。そこはきっと田舎に違いない。妻は都会育ちで、若いころから田舎にはどうしても住めないと言っている。私は田舎育ちだが、結婚の報告に私の田舎へ妻を連れて行ったときは、泣かれてしまった。妻を残して死ねない。会社が倒産してこの団地に越して来た時、妻は私に「先に死んだら許さない」と腕をつねった。
 ブオオオー。ドライヤーの音だ。毎晩、十一時を回ると聞こえてくる。
 風呂から出て髪をドライヤーでたんねんに乾かし、
「じゃ」
 そう言って、妻は象のぬいぐるみのパオを抱いて娘の部屋へ消えた。
 パオは娘の抱き枕だった。娘が嫁いでからは娘の部屋から引っ越してきて、居間のソファに他の九体のぬいぐるみといっしょになかよく並んでいる。
 娘がだんなさんの出張のときには実家に帰ってくるので、そのときだけ妻は私と寝室をともにするが、ふだんは娘の部屋で寝ている。歳をとったせいか、互いのいびきや歯ぎしりや寝相が気になるので、ぐっすり寝るには寝室を別にするといいみたいだ。
 家賃数万円のところへ早めに引っ越して田舎暮らしに慣れておくのがいいかもしれない。そうすれば私が仮に死んでも妻はそれほど生活を変えることなく年金だけで何とかやっていくだろう。病院さえ近くに見つけておけば大丈夫のはずだ。いざとなれば生活保護もあるさ。がんばって働いてたくさん税金を納めてきたんだからその権利はあるよな、そう考えたら少し気持ちが楽になってきた。
 実はこんなシミュレーションを毎晩行っている。「いざとなれば生活保護もあるさ」のところで考えが停まる。ここから先に名案がうかばない。ほかの生き方はないのだろうか。ひとり居間に残りウイスキーを炭酸で割って飲む。一杯飲んだだけで顔が真っ赤になって頭がぼんやりしてくる。今宵もここで思考が停止だ。
「パオっ」
 象のぬいぐるみの声が娘の部屋から聞こえてきた。ドアが少し開いている。
 妻の声には違いないが、私に「おやすみ」の挨拶を送っている。
「おやすみ」
 私はクマのぬいぐるみのテディをすかさず抱いて声まねして応えた。声が裏返った。毎晩行う夫婦の儀式だ。      了
 
 

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