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ベスは今。

 実家のベスがいなくなった。母親が面倒を見ていた犬だ。
 いなくなってから二日が経つ。ビーグル犬の雑種だった。推定年齢十三歳。メスの老犬だった。もとはと言えば、町役場に勤めているぼくの幼なじみのみちくんが、軽トラックで殺処分予定の犬数頭をのせて保健所へ行く途中、うちの実家のガソリンスタンドへ給油に立ち寄ったのが縁だ。母親が荷台で泣いている犬たちを見つけ、まだ子犬だったベスを引き取って育てたのだ。ベスは命の恩人と思ったのか、母親によくなついた。
 十年後、店をたたんで引退してすぐのころ、母親が散歩中に転んだ。転び方が悪かったのか、腰を打ちつけて入院することになった。骨折はしていなかったのですぐに退院できるものと思ったが、リウマチが見つかってしまい、退院してからも、母親はそこの病院へ定期的にリウマチ治療に通うことになった。母親のリウマチは初期で見つかったので、その意味ではベスも母親の命の恩人かもしれない。
 実家の裏には、ぼくの妹夫婦が住んでいて、何かと母親の面倒を見てくれている。おかげで東京にいるぼくも安心していられる。週に一度は電話で愛知にいる妹に母親の様子うかがいをしている。
母親は、八十歳を過ぎたころから足腰がだいぶ弱りはじめ、朝夕のベスの散歩は、妹がやっている。ベスも十歳を過ぎていたので、母親と同じでだいぶ足腰が弱り、散歩に時間がかかるようになってきた。
 ベスは、いわゆる昔の飼い方で、家の玄関横の犬小屋で飼っていた。老犬になってからは、冬の夜は冷えるので、母親は古い毛布を犬小屋の奥に押し込んで暖めてやっていた。
「これで少しはあったかいよね」
 母親は、いくらかわいいからといっても、犬を家の中で飼うことだけはしなかった。人は人、犬は犬、なんだそうだ。昭和ひと桁生まれ農家育ちの母親の方針だった。
 老犬のベスは夜になると、犬小屋から首だけ出して悲しそうに鳴き声をあげるようになった。
 やがて隣家から苦情がくるようになった。ベスの鳴き声はひと晩中やまなかった。隣家からの苦情が続く。しかし、母親はベスを家の中で飼うことはしなかった。隣家の奥さんと母親は折り合いが悪くなった。
「安眠できやしない」奥さんはひんぱんに文句を言いにやってきた。
 母親は、ただ謝るばかりでこの事態を解決できるわけではなかった。奥さんはベスを散歩している妹にも苦情を言ってきた。
 隣家の奥さんに怒鳴り込まれても、ただ謝るだけで何も変えられず、母親は体調をくずしていった。リウマチが悪化して入院することになった。
 妹からどうしたらよいかとぼくに電話が来た。ぼくも何か名案がないかと考えたが、やはり家の中で飼ったらどうかとか、役に立たない普通のアドバイスしかできなかった。
 母親が入院してまもなく、ベスがいなくなった。妹は散歩から帰った後、間違いなく鎖を犬小屋につないだと言った。「隣家の奥さんが夜中に鎖を外したに違いない」とも言った。
 ベスがいなくなったのを聞いて、母親は病院をすぐに退院したがった。妹夫婦は近所の交番に届けたり、役場に勤めているぼくの幼なじみのみちくんに相談したり、川に落ちたのではと疑い、昔の散歩コースだった境川のほとりも歩いた。が、手がかりはなかった。
 そんなある日、役場のみちくんから妹に連絡が入った。隣町の保健所でビーグル犬の遺体を保管しているというのだ。これを聞いて母親はかなり気落ちした。
「あんまりいじめられたから家出したんだ。あんな遠くまでひとりで歩いて行ったんだね。かわいそうに」
 妹夫婦が保健所まで確認に行った。しかし、その犬はベスではなかった。 ベスはいったいどこへ消えたのか。
 妹夫婦はその後も毎日、朝夕、近所を捜索した。母親も退院して、近くを歩きまわった。
 母親と目が合った隣家の奥さんは目をそらしてすぐに家の中へ消えた。
 結局、数か月たってもベスは見つからなかった。
 帰省したぼくに母親は言った。
「わしんたちに面倒をかけまいと、旅に出たんだわ、きっと」
 主のいない犬小屋をながめながら、ぼくはベスがしょんぼり旅を続ける姿を思い浮かべた。

                           了

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