木の香り、木の声、仏のうた (前編)
ほりごこち
仏像が日本にやってきてから1500年の間、御像の数だけあったであろう幾多のエピソード。仏像を造ったり修復したりする造佛所で、語り継がれなかった無数の話。こぼれ落ちたそんな物語恋しい造佛所の女将がつづる、香りを軸にした現代造佛所私記。
第1章 木が泣いている
「木が泣きゆう」
願主の男性がポツリと言った。
ジリジリと照りつける高知の太陽の下、輪切りにされた木の断面から堰を切ったように水が流れ出ている。
私たちはただただその様子を見守っていた。
目の醒めるような樟脳(しょうのう)の香り、舞い散る木くず。
周りののどかな風景は写真のように動かない。
時が流れているのは、木と私たちの周りだけに思えた。
「私たち」というのは仏師である夫と、主に事務仕事を担当する私のことで、二人で立ち上げた「よしだ造佛所」のことである。
話は1年前にさかのぼる。
ある神社のクスノキの大木が、車道に覆いかぶさるように枝を伸ばした。
危険を感じた近隣の住人が相談しあい、やむなく切ることにしたのだそうだ。
「この枝を供養したい」と地元の男性が手をあげ、願主となった。枝を仏像にして生かしてやろうと思い立った男性は、彫刻を頼める人を探していたらしい。
私たちは当時、東京から四国に引っ越してきたばかりで、お互いに知る由もなかった。
ある日、男性に「四国に移住してきた仏師がいる」というニュースが入った。
お寺さんを通じて私たちに連絡があり、さっそく大楠の枝(といっても相当な大きさだった)から彫刻に適した部分を見定めて欲しいとのことで、男性の元へ車を走らせたのだった。
さて、目の前で木が泣いている。
とめどなく水が流れる様子は、大の大人が泣きじゃくっているようでもあった。
痛いのだろうか、嬉しいのだろうか?木に聞いたとて教えてはくれない。
ただこのとき「この木は語ることばを持たずとも、意志がある」と何となく感じた。
願主と私たちが出会ったのは、見えない世界での木の執りなしもあったのだろう。
そんな木が流す涙とは。
痛いけど嬉しい、寂しいけど楽しみ、あるいはもっと深淵なものか…とにかく複雑なものであったろうと思う。
裂け目からひらすら水が流れる様子
人懐っこいクスノキ
無事クスノキの枝から彫刻部を切り出せたものの、運搬時にも水が滴るほどで、触るところによっては人の肌のように柔らかい。
「傷まずうまく乾燥してくれるだろうか」それだけが気がかりだった。
クスノキは、工房で長い夏と短い冬を越し、時代は平成から令和になった。木は腐ることなく程よく乾き、いよいよ仏像になる時がきた。
私たちが東京にいた頃は、すでに製材されている木材を入手していたが、高知に来てからは原木で仕入れて製材している。
このクスノキも、吉田が前挽大鋸(まえびきおが)で製材した。
前挽大鋸で木取り。作業場の外まで香りが漂っていた
うちは木彫専門なので、木の香りが身の回りに常にある。
特に製材の時と直後が一番香りが強く、木の中でもクスノキは横綱級である。
玄関に夫の作務衣姿が見えると、クスノキの香りが本人より先に入ってくるし、あっという間に家中にその芳香が満ち、しまいには出先までついてくる。
「クスノキの香りとは、なんと人懐っこいものだろう」
木材を人懐っこいと思うなんて…我ながら不思議な感覚だった。木の涙を目撃したせいだろうか。
聞くと、クスノキは古来から仏像制作に用いられていた木で、飛鳥時代には仏像といえばクスノキだったという。仏師にとって、今も昔も馴染み深い存在なのだそうだ。
「昔、乾燥しきってないクスノキをどうしても使わないといけなくて、鑿(のみ)を当てると水しぶきが顔に飛んできたことがあった。乾燥したら変形したり割れるから大変だったけど」
夫が10代の頃、富山で師匠についていた頃の話だ。
刀を当てると泣き、どこまでもついてくる芳香を放つ、そんなクスノキの人格 (樹格?) を、昔の仏師も好ましく思ったことも、辟易することもあったのではないだろうか。
そんなことを思いながら、樟脳の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
吉田沙織
高知県安芸郡生まれ。よしだ造佛所運営。看護師と秘書を経験したのち結婚を機に仏像制作・修復の世界へ飛び込んだ。夫は仏師の吉田安成。今日も仏師の「ほりごこち」をサポートするべく四国のかたすみで奮闘中。
https://zoubutsu.com/
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