中欧ヨーロッパ旅行 part1知らなかったベルリンの壁のこと
日本では毎日猛暑日を更新しているのにダウンジャケットを着て観光したのが嘘のようです。中欧ヨーロッパとの気温差20℃(朝6℃から昼13℃)もあるのに驚きです。
先週、成田からワルシャワ経由でドイツのベルリンからドレスデン、チェコのプラハとチェスキークルムロフ、オーストリアのウィーン、スロバキアのブラチスラバ、ハンガリーのブタペストを8日間駆け足で観光してきました。
ポーランド航空(Lot)はアメニティの提供はありませんでしたが、ボーイング787-9のドリームラインの導入でコンパクトにまとまり、機内食とエンターテインメントは他の航空会社と変わらないと思います。機内食もそこそこで私好みの味でした。
今回は私の勉強不足で知らなかった史実を中心に紹介したいと思います。
まずベルリンの壁です。(私だけかもしれませんが)南北に東ドイツと西ドイツを万里の頂上のように長く分断したものだと思っていました。
実は、第二次世界大戦後、戦勝国がドイツ全体を分割した他に、東ドイツの首都であったベルリンも東ベルリンと西ベルリンと分割したそうです。西側にとって飛び地になるわけです。政治的にはいろいろあったようですが、東ドイツは西ベルリンを包囲する形で壁をつくっていったのです。
現在は観光用に残っている部分で(写真参照)当時は全長で155㎞だったそうです。海外旅行に行く前にちゃんと歴史の勉強をしないと失礼だと思いました。
ウキペディアで分断の様子が良くわかります。
次に訪れたのはドレスデン。ここも第二次世界大戦で85%が破壊されてしまいました。ドイツ統一後、がれきの中にあった破壊前の部材を使っていったことがよくわかります。砂岩でつくられているために当時のものは黒く変色して、新しい材料は変色していません。
よくここまで再建できたなとドイツ人魂を感じました。
ツヴィンガー宮殿のアルテ・マイスター絵画館は、ラファエロ、フェルメール、ルーベンス、レンブラントなども鑑賞できて素晴らしい美術館でした。昔の王様は権力を誇示したいのか莫大なお金を使って収集したそうです。当時ドリスデンでは銀が採掘さてそれが資金源になったとか。
またまたびっくりしたことがあります。エレべ川に架かるカローラ橋が、増水した濁流の影響かドレスデンを訪れる当日の早朝に崩落したことです。犠牲者はいなかったようですが、ドイツで橋が崩落するなんて信じられないと現地のガイドさんが嘆いていました。やはりプライドは高いと思いました。
ドイツのベルリンとドレスデンでの発見でした。
次回はプラハからの旅を紹介します。
お楽しみ!