第1話 不気味な隣国
2019年の5月1日から6日にかけて、私は日本で「北朝鮮」と称されている、朝鮮民主主義人民共和国を旅した。
もう一年以上も前の話だが、ふとその時の思い出を振り返り、その記憶に浸っていると、当時の匂いや雰囲気、人々の表情などが生々しくよみがえってくる。
私は、この「北朝鮮」旅行の最後、ずっと私達に付き添ってくれたガイドの朴(ぱく)さんから、次のようなことを言われたのだ。
「日本と朝鮮では、国どうし沢山の問題を抱えています。ですが、私は一番大事なのは民間交流だと思っています。 私は皆さんにお願いがあります。 皆さんが日本に帰ったら、家族や友達に、この朝鮮旅行のことを話して欲しいのです。 何も、朝鮮を好きになってくださいとか、朝鮮の良かったところを伝えてください、というのではありません。 皆さんが今回の旅行で見た、ありのままの朝鮮のことを周りの人に話して欲しいのです。 そうしたらその中の1人くらいは、『朝鮮に行ってみよう』という人が出てくるかもしれません。 次にまたそういう人達が朝鮮に来ると、朝鮮のことを知ってくれる人が増えていきます。 そうすると国と国の関係も良い方向に変わってくると思うのです。」
私がこの記録を書く強い動機となったのは、この朴さんの言葉である。
彼は、日本と朝鮮の関係があまり良くないことを知りつつも、民間交流を通して、忍耐強く国と国の関係改善を望んでいるのである。
残念ながら、現在我が国日本は、この朝鮮民主主義人民共和国と国交を結んでいない。
また多くの日本人はこの国に対して「不気味な隣国」といった邪悪なイメージを抱いており、且つこの国の本当の実情を知ろうとする者は少ない。
しかしそれも無理もないことであろう。
かつてこの国は組織的に、我が国の国民を何十人も拉致し、彼の共和国へ連れて行ったのだ。
そして、その幾人かは現地で死亡し、帰ってこれなかった人もいる。
そして、何人かの邦人の引き渡しを、「北朝鮮」政府は拒んでいる。。
また、「北朝鮮」は国際社会の制止を無視しミサイルの発射実験を繰り返し、核兵器の開発を続けている。
そのミサイルのいくつかは日本海に打ち込まれたこともあるし、現在もいくつもの矛先が日本に向けられているとも言われている。
そして、日本のマスメディアはしきりにそのような悪いイメージの「北朝鮮」を流し続ける。
多くの人はそれを信じているのだ。
また、この国は極めて限定的な情報しか外に出さず、自国民に対しても強い情報統制を敷く、超秘密国家である。
私はそんな「不気味な隣国」にずっと興味をもってきた。
このように、「北朝鮮」というと、必ずある種のフィルターを通してみてしまいがちであるが、私はなるべくその「フィルター」を通さずにこの国を見てみたかった。
なので、「北朝鮮」に行く前は、政治的な記事や本を読むことはできるだけ控えた。
本当は拉致被害者の話など読んでおくべきだったのだろうが、どうしても書き手の感情が強く現れる分野なので、この国の歴史や国際的に周知されている基本情報を摂取するにとどめた。
次の記事からは、実際に彼の地へ赴いた私の目線での「北朝鮮」を書いていくつもりである。
それは良くも悪くも、私の観たままの「北朝鮮」であることをご理解いただきたい。
また、日本ではこの「朝鮮民主主義人民共和国」のことを「北朝鮮」と呼ぶが、朝鮮半島全土を領土だと規定し、また主張するこの国にとって、「北朝鮮」という呼び方は彼らにとっては好ましくない呼称となる。
あちらの人々は自分たちの国のことを「朝鮮」もしくは「共和国」と誇らしく呼ぶ。
本当は、あちらでお世話になったガイドや、出会った人々の心情を考えると「北朝鮮」と呼ぶのは控えたいところではあるが、日本では「北朝鮮」という呼び方が一般的になってしまっているため、この呼称を使うことにする。(かつては日本のニュースでも「北朝鮮」という呼び方はしていなかったらしい)
もちろん文脈に合わせ「朝鮮」、「共和国」、また正式名称である「朝鮮民主主義人民共和国」という呼称も使う。ただ、「北朝鮮」と使うときは、正式名称ではない為「」でくくることにする。
テレビなどの主流メディアでは窺い知ることのできない「北朝鮮」の雰囲気、またそこ人々の表情や匂いの片鱗でも感じていただき、あなたを「朝鮮」への小旅行に導くことができたら幸いである。
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謎の共和国「北朝鮮」見聞録
2019年5月1日、つまり令和元年の元日に私は「北朝鮮」こと朝鮮民主主義人民共和国を訪れた。テレビでは知ることのない、この国を、ほんの一部…
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