マージナル インドネシアのパンクバンド
5月31日日曜日。 今日もただの日記としてこれを書く。
今日は昼から、昔からお世話になっているおばちゃんのところに遊びにいった。 この人はある森林保護団体の福岡支部の人だが、数年前、北九州のある農場で援農しているときに出会ってから色々お世話になっている。といっても今日は2年ぶりに会った。彼女の名前を仮にKさんとしておこう。
陰謀論とかUFOとかの話が好きなわりには陰気なところが一切なく、さっぱりとしていて、底抜けに明るい。
一応、コロナ騒動もひと段落つきそうなところではあるが、ウィルスのことを気にしていてはいけないので、一応マスクはつけていった。シフォンケーキのお土産をもって。
コーヒーや沢山のお菓子を用意してくれており、それらをばりばりほうばりながら、2年ぶりに話をした。
いきなりコロナの話になったが、
「(知り合いの)Fさんが、フェイスブックで、北九州に怪しい飛行機雲ができてたって書いてたよ。」
「え、ケムトレイルのことですか!?」
「そうそう、でさ、その二日後、北九州でまたコロナ発生したもんねえ。 やっぱね、これさ、怪しいよね。こうやって菌をばらまいてるのかもね」
などと開口一番こんな話をしてくるのだから、ビビる(笑)
それにしてもコロナのケムトレイル説は初めてきいた。
私もここ2カ月くらいは、表に出てこないコロナ騒動にまつわる様々な噂を調べに調べていたので、まあ俺もこのコロナ騒動にうさん臭さを感じていて、まあ80%くらいの確立でこれは「つくられた騒動」だと思っている。
これを機に、様々な悪法を通そうとする日本政府や、5Gの"陰謀説"を禁止しようとする英国政府、YouTubeやFacebook、ワクチンを強制接種させようとするビルゲイツなど、コロナ騒動が起こってから怪しい噂が沢山ささやかれておりうんざりしている
こういうニュースを追っていると、絶望的な気持ちになって、それこそ昨日の日記に書いたような「嫌な気持ち」になってしまう。
恐怖や不安感に支配されてしまうと、人間簡単にコントロールされてしまう。
或る英語のメディアでは、Dr.Rashid Buttarという医者が、
「恐怖はイリュージョンだ。だが危険は現実だ」(DANGER is real! But fear is a figment of your imagination, an illusion that unfortunately paralyzes most people. )
と言っていた。 危機は察して避けるべきだが、不必要な恐怖に駆られては仕方がない。
昨日「思考」の力について書いたが、それこそ恐怖の言説に取り込まれてしまうと自分の潜在意識を汚してしまうのだ。 余計な情報は取り入れないに限る。
俺はこの2カ月、ツイッターを見すぎてしまったため、穏やかじゃない日々が続いた。 世界で起こっていることを知りたくて見ていたが、あまりにもゴシップが多すぎる。
今日見たツイッターやインスタでも、警官に職務質問中に殺された米国の黒人ジョージ・フロイドに関して様々な言説が流れている。
このジョージ・フロイドが実はまだ生きてゐて、彼は雇われたアクターであったとか、これに乗じて暴動を起こす人達はジョージソロスに雇われた奴らで、わざと暴動を大きくするために働いているだとか、一体何が本当のことなんだろうか。
我々のような一般人が真相をつかむのは到底無理だろう。
皆こうやって、情報に踊らされるのかなと思うと馬鹿らしくなって、そんな時間を使うくらいならエロ動画でも見てマスかいてた方が数十倍マシだと思えてくるくらいだ。
やはりこのようなものから距離をとっておいた方がいい。第一情報以外は、まずは疑ってかかるに限る。
本当は今日はこんなことを書くつもりじゃなかったのだが、日記を続ける。
今日、夕方家に帰ってから、かねてからずっと観たかったドキュメンタリーを観た。
近年、インドネシアのパンクやメタルが熱いというのはなんとなく知っていた。
そして逆に、日本や欧米諸国のハードコアやメタルが下火で、勢いがなく、どちらかというとマニアックな音楽になりつつあるのも気が付いていたが、まあそれも、我々の社会が豊かになってしまったが故に反骨心を抜かれてしまったからであろう。
だが、インドネシアのような、発展途上の、政治汚職が激しい国では、福祉が進んでおらず、下層の人たちは悲惨な生活をせざるを得ない。だが、それ故に、プリミティブなエネルギーも溢れんばかりにあり、パンクという音楽はそういう人たちをいつの時代でも惹きつける。
このドキュメンタリーは、政治汚職や金持ちの横暴などに徹底的に闘う「マージナル」というインドネシアのパンクバンドを追った映画だ。
この映画を観ながら色んなことを想った。
この貧困は何なのか、最近意識が現実世界に及ぼす影響を強く感じるが故にこれも、彼らの頭の中の現れであろうか、そうだったとしてもこういう人達は一体何故こんな運命で生まれてこなければならなかったのか?
同じ人間なのに、日本のように経済発展した国とそうでない国には何が違い何が原因なのか?
このように助け合いながら生きる人たちの姿は美しいが、何故日本にはそういう美徳が失われつつあるのだろうか?やはり金のせいなのだろうか?
パンクとは何なのか、音楽には政治を変える力があるのか?
少し辛辣なことをいうと、親に捨てられたような子供をマージナルのようなパンクスが引き取ったり面倒みたりしているが、ウクレレの弾き方を教えるより読み書きを教えたほうが良いんじゃないか?とか
貧困を救うにはまず教育なんじゃないか?とか
インドネシアの歴史や政治をよく知らないので、色々なことを妄想しながら映画を観ていた。
日本にもひと昔前はこういう熱いパンクスがいたのは知っている、だが、政治は変わらなかったし日本社会も大して変わらなかった。バブル以降は卑しい人間が増えただけだった。
英国ではCrassというアートとパンクを混ぜたようなバンドが様々な政治運動を展開し、またその他動物愛護を掲げるパンクバンドなど出てきたが、果たしてどれだけ社会を変える力になりえたのか。
また、レイジアゲインストマシンもアメリカを変えはしなかったように思う。
結局音楽では「革命」は起こらなかったのだ。
ただ、レイジが活動を休止したあとに911が起こり、イラク戦争などに突入した。そう考えると、カウンターカルチャーが権力の暴走をある一定程度は防いでいると考えることもできよう。ヒッピームーブメントもそうだったよな。
マージナルは、親のいない子供を引き取り仲間と共同生活をしている。 しかも、マージナルのメンバーが、子供たちの経済的な面倒も見ており、金もなくいつもぎりぎりの生活をしているのに彼らを食わせている。
また自分たちの持ち物や食べ物は全部仲間とシェアしており、私欲とは無縁の生活をしている。
金持ち程、自分のもっているものを差しだしたりはしない。自分の余った分のいくらかを出しはするが、全てを犠牲にするようなことは決してない。
だが、貧困のどん底にいる彼らは全てを、さらに恵まれない子に対し、差し出す。
彼らを見ていると、原始仏教の形態というのもこういう姿に近かったのではないかなどと思えてくる。 というのもこの映画のある少年がこの共同体にいると自分が他の人と平等だと思える、と言っていてシーンがあったからだ。
仏教教団の修行者の共同体のことを「サンガ」と言う。そして様々な身分の人達もそのサンガに入れば完全に平等に扱われ、かつ私物をもちこむことが出来なかった。また当時インドで支配的だったバラモン教に徹底的に逆らったのは仏教であったから、つまりそのままパンクス達の政治腐敗や差別に対する雄たけびも、当時の仏教のそれだったのではないか。
そして、全てを弱者の救済活動と社会闘争に捧げるマージナルとは、大乗仏教徒の理想像である「ボディーサットヴァ(菩薩)」なのではないか。 彼らはイスラム教徒だが、ボーディサットバがムスリムに転生したのが彼らなのではないか!?(笑) (ただの妄想だ、申し訳ない)
音楽が世界を変えるかと言われれば、そうではないのかもしれない。 私自身は昔からメタルもパンクもハードコアも好きで、少なからずそれらに救われた部分はあるが、所詮はこれらの音楽はカウンターカルチャーでしかなく、メインストリームではないが故に社会をラディカルに変える力は持てないのだろうとも思っている。 多数派に好かれる音楽というのは常に耳障りの良いものでしかありえない。 反逆の音楽というのはどうしても不平分子の心を打つものでしかないのだろう。 でもそれでいいのだと思う。
きっと、世界というのは、神様がそのような割合で人口を振り分けられているのだと思う。
にしても今日は良い映画を観たと思う。
今日の日記は長くなった。
また会いましょう
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