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インドのナグプール(南天竜宮城)に行った話 2

アンベードカル博士は1956年10月14日、ヒンドゥー教から仏教に、数十万のダリット(不可触民) たちとともに改宗しました。 

その集団改宗式が行われた場所がインド最中央部に位置する、ナーグプールです。

しかしアンベードカルはその2カ月後の12月に突然死去します。まさにこの世での指名を果たし終えたかのようなタイミングです。

ちなみにアンベードカル博士は、現在のインド憲法の草案を書いた人物でもあり、憲法には被差別カーストへのアファーマティブアクション( 積極的是正措置 ) や女性の地位向上の条文を盛り込み、現代インドの礎を築きました。

またインド国旗の制定にも関わり、古代インドで仏教を広め保護したことで有名なアショーカ王の「アショーカ・チャクラ」を国旗に配置し、国章をアショーカの獅子柱頭に定めました。 

インド国旗

インドの国章

アショーカ・チャクラは仏教でいうところのダルマ(法)を表すものと言われています。

いずれにしろ、仏教の「ダルマ(法)」に基づいて政治を行ったアショーカ王を、新インドのシンボルに盛り込もうとしたのです。

不可触民出身という立場で、ここまでのことをやり遂げるとは、まさに大きな使命を負った人だったのだと思います。そして、ダリット(不可触民)たちとの仏教へ集団改宗式という大使命を終えて、1956年12月に息を引き取りました。

その後、リーダーを失った仏教徒たちはただの烏合の衆。仏教に改宗したものの、特にこれといった運動や動きもなく、勢いを失っていったようです。

佐々井上人がナーグプールに来たのは、アンベードカルの死後12年後1968年のこと。 

佐々井上人は、当時ビハール州のラージギルにある日本山妙法寺で修行をしておりました。 

ラージギルは、「法華経」というお経が説かれたところだとされているところです。 

佐々井上人がラージギルの日本山妙法寺で修行するに至った経緯に関しては後で詳述いたしますが、佐々井上人は、日本に帰ろうとしていた前日の夜、ここである不思議な体験をします。

龍樹(ナーガルジュナ , りゅうじゅ) という、初期の大乗仏教の聖者が夜中に現れこう言ったというのです。

我は龍樹(りゅうじゅ)なり
汝速やかに南天竜宮城へ行け
南天竜宮城は我が法城なり
我が法城は汝が法城
汝が法城は我が法城
汝速やかに南天竜宮城へ行け
南天鉄塔亦そこにあらんか

佐々井上人は、南天竜宮城がどこかも知りません。

そこで佐々井師は当時の師匠、日本山妙法寺の八木上人に、夢に現れた龍樹のことを話したそうです。 

すると

「南天竜宮城はきっと『ナグプール』のことに違いない! 龍はヒンドゥー語で『ナーガ』、宮城とは『プール』のことだ。」

佐々井師は、カルカッタからタイ経由で日本に帰る航空券を既に買っており日本に帰る直前でありましたが、この龍樹 (ナーガルジュナ) のメッセージをただならぬことと受け止め、日本への帰国を思いとどまりました。

そしてその夢告の翌日には、彼は、何が待っているかも知れない「南天竜宮城」つまり「ナーグプール」へ赴きました。 それが1968年のことです。

続く

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