僕が星座占いや血液型占いをあまり重視しない理由ー僕は何もなくしていない、という話
ご無沙汰しております。自転車に乗っていた時に思い浮かんだことを走り書きするのでかなり論旨怪しいかもしれませんが、世界に情報が出ることはいいことなので書いてみます。
本日は
『僕が星座占いや血液型占いをあまり重視しない理由』
です。
【お断り】
当然のことでありますが、占いの科学的・統計的正しさを検証しているわけではありませんし、それらを信じている方に対して何らの悪い印象もないことを先に述べておきます。
1.星座占いや血液型占いのキーパーツは「自分では変えられないもの」
当たり前の話ですが
・生年月日
・血液型
は自分の意思では変えることはできません。(本当に当たり前ですね)
なので、「かに座のあなたの5月の運勢は最悪」という占いが出たとして基本的にそれは変わる・変えられることはありません。(もちろん、それを踏まえて対策しよう、ということは可能だと思いますが)
個人的にはこの点からちょっと引っかかっており、いいと言われようが悪いと言われようが自分の力でもなければ自分の意思でもなく、あまり自分事として捉えられないんですよね。
大前提として、
・星座や血液型は生まれ持った時点で決定される
・自分の意思で変えることができない
という性質を持っているということが本稿の趣旨のスタートとなります。
2.持って生まれたものだけで今の僕は成り立っていない
この点が本稿のキーになると考えていますが、今現在の僕は、生まれたときに持っているものだけで成り立っていない、と考えています。
もちろん、生まれた時点で持っている性質は間違いなくあるでしょうし、自分の力でなく周囲からの影響・環境によって得たものもたくさんあるのですべてを自分がつかみ取ってきた、などというわけではありませんが、それにしても生来の自分と最近の自分は結構変わっている、と感じています。
思うに生まれ持っての性質や両親からの影響などはもちろんすごく大きな影響ではありますが、年月を重ねるにつれて様々なところから様々な経験をしており、総体としての自分は生まれ持っての自分からは大きく離れてきている、という感触です。
適当な概念図。数字は適当ですがだいたいこんな感じじゃないでしょうか
例えば、僕は思うにもともとかなりの内向的性質を持っており、外部からのインプット(読書など)は小さいころから好んでいます。それを内部でかみ砕くためにモヤモヤ考えたりすることも好きで、アウトプットと比べたら内部でモヤモヤ考えている量は10倍くらいあると思います。
もちろんこれは今も大好きで変わるものではありませんが、今はアウトプットすることも好きになってきたし、それを踏まえて誰かと話したり意見を交換したりすることも好きになってきました。外向的になってきているんですね。
内向・外向の二軸だけ考えても
・生まれ持った性質は内向的
・様々な経験を経て外向的な動きもできる・好きになってきている
・現在はどちらかといえば外向的
と整理しています。
3.星座占いや血液型占いは「生来持って生まれたもの」の部分に影響している
さて、本筋に戻すと星座占いや血液型占いは上記の
「生来持って生まれたもの」
の部分に影響する部分ではないでしょうか。
もちろん、それはその後の経験にも影響することはあるとは思いますが、同じ日・同じ血液型に生まれた人が同じ環境・同じ経験をしていくとは到底考えられないため、成長によって得たものを加味すると占いによって影響される部分は年を重ねるごとに小さくなっている、と考えています。(上記の整理で言えば全体の30%くらいです)
よって、今の自分にとってはたとえ3割程度影響するとしてもそれ以外の要素が大いにあるため、割り引いて判断する必要があるかな、と思っており、今後の人生においてこれら占いを自分の重要な何かの判断に使うことはたぶんないだろうな、と思っています。
結び 僕は何もなくしていない
上記のモデルを採用している理由としては、
僕は何もなくしていない
という強い確信があるからです。
生まれたときから持っているものも、
両親からもらったものも、
小学校のときに得たものも、
中学校のときに得たものも、
高校のときに得たものも、
大学のときに得たものも、
社会人になってから得たものも、
全てが今の自分を構成しているパーツであり、たとえ総体としての性質が変わっているとしてもそれは過去のものが消えてしまったわけではなく、地層のように深くに残り続けている、と思っているのです。
小さいころ、大人になったら今の自分とは全然違うだろうな、と思っていましたし、大人になると色々なものをなくしてしまうだろうな、とも思っていました。
でも、実際にそこそこな大人といわれる年齢になってみると、本質的なところは何も変わっていないし、大人になるということは別に何かを手放すことではないんだろうな、ということが実感的にわかってきました。
今でも学生時代の友人たちと話すとあの頃に話していたようなくだらない話を楽しくしていますし、一緒にいる友人たちもそんな感じでいると思っています。
もちろん、僕も彼らも社会に出てそれなりに経ったり、結婚していたり子どもがいたり、いろいろな面で「大人」と呼ばれるような外形はあると思います。でも、学生の頃に得たパーツは今も変わらず残っているため、その部分を出しているため、今でも変わらずにやれている、と整理しています。(あんだけバカみたいな話していつつもみんな対外的にはまともな社会人みたいなツラしてるかと思うと笑える)
大人になるということは変わることではあるが、失うことではない、ということと思えば、年を取ることは年々どんどんあらたな経験をしていくことであり、とても楽しく喜ばしいことのように感じるのです。
※肉体的な衰えに関してはこの限りでなく、学生時代の強靭な胃腸や肝臓は年々失われつつあります。その点は今は若い諸兄もぜひ気を付けてくれ。
(おまけ)
本稿は
・竹原ピストル『Forever Young』
・BUMP OF CHICKEN『ダイヤモンド』
に非常にインスパイアされています。
いい歌だからみんな聞いてくれ。
(おわり)