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【リハビリ】久しぶりに何かを書きます【日記】

ご無沙汰しております(定期)。

noteで何かを書くことも久しくやっておらず、また、下書き欄には数か月前のアイデアの残滓がいくつか入っているものの、久しぶりすぎてそれらのアイデアをちゃんと書けそうにないので本当に何もない状態で何か書きます。一般にはこれを「日記」といいます。素晴らしい文化ですね。
一日の頭に書くものが一般的な日記の範疇に入るかどうかはかなり怪しいですが、日記というものは懐の広い奴だと思っているのでそう思うことにします。昔からいい奴だった。

※日記なので見出しなども設定しない可能性もありますし、画像なども特にない可能性がありますが、もしこの後本稿に出現したら意外とやる気が出た、ということだということです。


そもそも、なぜ私は「日記」というスタイルをあまりやらないのだろうな、と考えを若干巡らせてみると、昔から日記が続いたことがない、という敗北体験の蓄積によるものだろうな、と自己分析しています。

夏休みの宿題の日記、みたいなのはまあ当然最終日付近にまとめて書くものだと思っていましたし、中学生くらいの多感な時期に一時期つけ始めたのですが、後で読み返すと「今日は無理」とか「あああああ」とかが連打されるようになり、どんどん抜けも出てきたのでいつしか書かなくなりました。
ついでに言えば書かれていることも「なぜ自分は誘われないのか」みたいな陰キャの愚痴みたいなのばっかりだったので気が滅入った、というのもある気がします。

もう少し長じても、mixiという日本人が誰でもやっていたSNSがあったのですが、それでも更新頻度はそれほど高くなく、シーズナルにバイト先や成績への怨嗟をまき散らしていたように思います。

社会人になってもそんなに変わらず、今となっては皆持っているのかどうかわからないのですが、「手帳」というものが十数年前には幅をきかせておりました。
これには日々のタスクを書いたり日記欄があったりし、私は一念発起して立派なフランクリン・プランナーの手帳を買いましたが、一日一枚使われるはずのページの多くは空白で、リフィルを買い足すときにあまりの資源の無駄さに震えました。

※びっくりするほどご立派なものを使っていました。
いや、本来は凄くいいものなんですよ。

この体験を契機に仕事用の手帳はどんどん簡略化されてゆき、今は何なら手帳ですらないノートに日付を書いて使っています。これなら空白はできないので安心。

※ついでに紹介ですがこれは結構長続きしており数年やり続けています

色々書きましたが、「毎日何かをする」ということが向いていないと自分では感じている、ということですね。う~ん社会不適合感が強い。


そろそろ書き出して20分くらい経った(読まれている諸兄には全く関係のない話)ので、なんとなく〆に入ります。

こういう諸々があって「決まった何かをやり続ける」ということがなかなか自分には向いていないよなあ、ということを生涯の中で感じる機会が多いので、「ゆるいタスク管理術」という妄言を書いたnote・kindle本の中でも、「ツールは特に決めなくてもよい」ということにした、というのがあったな、と改めて思い返したのでした。

※note いつのまにかヘッダー画像消えている。悠久すぎる。

※kindle 「中身がない」と「目から鱗」がレビューで同居している。
皆々様のお役に立つことは難しいのだ。

社会不適合感が強い、と書きましたがそれでもまあ何とか仕事をしたりしており、お給料をもらったりしながら生きてはいるので、これはこれでそこまで目くじらを立てることでもないな、という整理をして本日は自分を赦したいと思います。朝ですし。

なんか最後は宣伝のために書いたんかみたいになっちゃいましたが、これも日記のライブ感がなせる業ということで、多分問題ないはずと信じて今日一日のスタートを切りたいと思います。
皆さんも日々何かを書いたり書かなかったりしながらえっちらおっちらやっていきましょう。

(了)

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ヨシダ@インターネット物書きマン
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