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誰と比べての「私は頑張ってない」なのか?

認めたくないけど、正月ボケかもしれない。

3日に夫の実家から自宅に帰ってきて4日に仕事を開始したのだけど、思うように書けないのだ。この数日、書いては消し、消しては書くを繰り返している。

その成果は、cakesの原稿1本とnote2記事。

これに対して私は

「少なすぎて全然ダメ!」「全然頑張れてない!」「もっと頑張らなきゃ!」

などといった言葉で自分を責めてしまう。

しかし、あることに気づいた。

今の私は、1年前の私よりはずっと頑張っているのだ。


私は手帳に、「その日にしたこと」を書き留めている。日記というほどでもなく、箇条書きでそっけないものだ。

これを書いている今は1月7日なのだけど、2018年の手帳の1月7日のページを見ると、こんなふうに書いてある。

・朝、姉たちを見送る
・母と客用布団を片付ける
・GEOでDVD返却
・チエリンが来たからおしるこ渡す
・夜、ようやく1記事
・「ライアー×ライアー」読了

一応解説すると、昨年のこの日は私だけ実家にいて、夫はすでに自宅に戻っている状態。姉が子連れで帰省していたのだけど、この日に帰ったらしい。

チエリンというのは近所に住む幼馴染で、「親戚から小豆を大量にもらって持て余している」というので、私がおしるこを作ったのだ。おしるこは我が家とチエリン家でシェアしている。そして、「ライアー×ライアー」は少女漫画だ(面白いよ)。

つまり、この日の私は、布団片付けて、GEO行って、友達と会って、仕事を少しだけして、漫画を読んでいる。

……生産性低すぎ!

このときに比べると、今日の私はずっと頑張っている。

牛歩の歩みながらちゃんと仕事をしているし、noteを書いているし、洗濯物もたたんだ。

そう思うと、一瞬は「1年前の自分よりは頑張ってるんだからいいか~」と気楽になる。

けれどすぐに、「こんなんじゃダメ! 頑張りが足りない!」という思いが襲ってくる。

それで気づいたのだけど、私は、過去の自分に勝ったところで満足できないのだ。

じゃあ、私は誰と比べて「頑張りが足りない」と思っているのか?

他人?

それも、ある。たしかに、自分よりも頑張っている人を見ると、「私も頑張らなきゃ!」と焦ってしまう。

しかし、反対に自分より頑張っていない人を見ても、「あの人よりは頑張ってるからいいか~」とは思わない。

つまり、私が比較してしまう相手は他人ではなく、理想の自分なのだと思う。

理想の自分と比べて、現状の自分は足りない。

私が自分自身を「頑張りが足りない」と叱責すると、母はよく

「昔のサキちゃんに比べたらずっと頑張れてるわよ!」

「サキちゃんより頑張れてない人、たくさんいるわよ」

と慰めてくれる。

その母の気持ちはありがたいし、いい歳して親にそんな慰めをさせてしまっていることが申し訳ない。

だけど、私は母の慰めでは「そっか~」と思えない。

私は、過去の自分や他人ではなく「理想の自分」を基準としているのだから、そこに達していないという事実は変わらないのだ。


考えてみたのだけど、現状のモヤモヤを打破するには、

①理想に近づくための工夫をする
②理想そのものを変える

というふたつのアプローチがあると思う。

とりあえず、今日の私は①と②のあわせ技でいくことにした。

目標設定を少し下げたうえで、それを達成するための工夫を考えている。

とはいえ、そこまで器用でもないので、やっぱりうまくいかないし、自責しちゃうんだよなぁ。

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