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「まだまだ」と「ダメ」

仕事のことで「私はまだまだだなぁ」と落ち込むことがあった。

自分でもぎょっとする。

そりゃあ……まだまだだろう。エッセイの仕事を始めてまだ7ヶ月。自分がまだまだなことくらい、知っていたつもりだ。

なのになぜ、落ち込むんだろう。

ひょっとして、私は自分がまだまだであるという事実を、忘れかけていたのではないか?

知らず知らずのうちに、自分の力を高く見積もっていたのかもしれない。

それに気づいて、たまらなく恥ずかしくなった。

以前、山小屋の友人が「失敗すると謙虚になる」と言っていた。

そのときはピンとこなかったけど、今はすごく共感する。

もちろん、失敗しなくても謙虚でいられたらそれに越したことはない。だけど、私はすぐに謙虚さを失う。だから「まだまだ」を実感できてよかった。

「私はまだまだだ」と「私なんかダメだ」は、似ているようで少し違うと思う。

「私はまだまだだ」と言うと、ネガティブ警察に「そんなこと言っちゃダメだよ!」と取り締まられてしまうことがある。あまつさえ、「あなたは今のままで充分素晴らしいよ!」などと励まされてしまうことも。

しかし、「まだまだ」を自覚することはネガティブだろうか?

私はそうは思わない。至らなさを自覚するからこそ謙虚でいられるし、自分自身の伸ばし方もわかる。

「まだまだ」を自覚することは、その人次第でいくらでも、「反省を未来につなげる」という前向きな方向にシフトチェンジできると思う。

一方で、「私なんかダメだ」は、前向きな方向への変換は難しそう。

だから、なるべく「私はまだまだだ」を採用していきたいなぁ。

……と、さんざん前向きなことを書いておいてアレだけど、やっぱり「私なんかダメだ」と思ってしまうときはあるわけで。

そして困ったことに、「それを誰かに言ったところで何の解決にもならないし、むしろ相手を嫌な気持ちにさせてしまう」と理解していても、どうしても言いたくなってしまう。

これって、自分の重荷を小分けにして誰かに背負わせることで、相対的に自分の荷を軽くしたい心理なんだと思う。

そんな荷物、手渡されたほうは迷惑だろう。それに、友人はみんなそれぞれ忙しくて、私の弱音で彼女たちの貴重な時間を奪ってしまうのは忍びない。

だからこうして、noteに書く。

読んでくれた方の時間を奪うことも、重荷を手渡していることも忍びないけれど、今は「生き延びるための文章」を書く場所が必要だ。

知人のヤマシタさんも書いているけど、本当に、書くことは癒しだと思う。

書くことで傷つくし、自信も失うし、自分が恥ずかしくもなるけど、同時に書くことで救われている。

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吉玉サキ
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