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大人になって増えた、仲の良い人

仲の良い人と「友だちってなんだろうね?」という話をしていた。

小さい頃は、放課後いっしょに遊ぶ人が友だちだった。

だけど学校を卒業して働きはじめると、職場の人と家族以外でよく会う人はグッと少なくなって、「あれっ、私友だちほとんどいなくない?」とちょっと心配になるくらいだ。

「お休みの日は何してるんですか?」と聞いて、「友だちとご飯を食べたり遊んだりですかね」と言われたら、ちょっと憧れてしまう気持ちすらある。

もちろん、人によって友だちの捉え方は違うと思う。

ただそれに加えて、大人になると「友だち」という呼び方がしっくりしない関係が増えるのかもしれない。


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大人になって、自分で決められることが一気に増えた。

そしてそれと同時に見える世界の範囲が広がって、好きなものも増えた。

映画を見るのが好き。美味しいごはんを好きな人と食べたいし、カフェで本を読む時間もお気に入り。興味のあるイベントには気軽に参加して、たまには温泉にも行きたい。

それら一つひとつに、私の好きが散りばめられている。


こうして好きがあふれた功罪として、楽しみが増えた反面、ひとりの人との重なりが薄れてしまったように思う。時間だけでなく、関心の範囲でも。

だからいつでも一緒な友だちとは、もう中々出会えないのかもしれない。

でも、それぞれの好きを共有できる仲の良い人は、いつからだってどんどんできると思う。

新しいお店に行くなら美味しそうにごはんを食べるAさん、本のトークイベントに参加するなら読書が好きなBさん、映画を見に行くなら感情ゆたかなCさん、そんな風に。


面白いのは、美味しいごはんが好きなAさんと本の話で盛り上がったり、本のイベントで出会ったBさんと一緒にヨガをしたりすることがあるということ。

そうやって好きの重なるポイントが1つ2つ、3つ4つとある人を、私は気の合う人と呼んでいる。親しみを込めて。

そういう気の合う人は、年齢が離れていても住んでいる場所が遠くても、不思議と近くに感じる。それはきっと、心の距離が近いから。


数ヶ月前は名前も知らない他人だったのに、いつの間にか気の合う人になっていた。

尊敬して、信頼して、ときには甘えたりもして。

出会った時は何も知らなかったのに、言葉を投げかけあいお互いの秘密を共有していくと、もうあなたがいない自分は自分じゃない気がする。

そう思わせてもらえるのは有難いことだなあと思う。だって、そんなことは滅多にないのだから。


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友だちとか仲の良い人とか気の合う人とか、そういういことを考えていたら、このツイートを思い出した。

人のいい面を引き出せる美容液みたいな存在でありたいし、私の優しいところが引き出されて自然に素敵な言葉を使ってしまう気の合う人を、これからも大切にしていきたいなあ、と思う3月7日の朝。

今日はサウ(3)ナ(7)の日みたいです。



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ひらともや
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