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「見返り」を期待しない

人は「執着」でエネルギーを消費する

 自分が会社で働いて、会社がこれだけ得ていると思えば、それに報いてくれない会社が悔しい。
 くれるだろうと期待したものに対する執着が強ければ強いほど悔しい。
 その悔しい気持ちでエネルギーを消費する。
 つまり、人は執着でエネルギーを消費する。

【引用元】加藤諦三.(2010) だれとも打ち解けられない人 (PHP新書) (Kindle の位置No.1548). PHP研究所.

そもそも「見返り」とは

 「見返り」とは、自分や相手が何かしらの利益をもたらしたことに対して、何かを返すことや返礼品そのものを意味します。
 お返しの例としては、保証や担保、代償などがあげられます。
 見返りという言葉は、「見返りを期待する」のように使われます。
 相手にしてあげたことに対して、何らかのお返しがあるものだと期待することを表します。

【引用】goo辞書『見返り(みかえり) の意味・使い方』https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%A6%8B%E8%BF%94%E3%82%8A/

「振り返る」という意味もある

 「見返り」には、相手が何かしてくれたことに対するお返しという意味に加えて、「振り向いて後ろを見る」という意味合いもあります。
 その人の進行方向と逆向きに「返って」こちらを「見」ている様子から、「見返り」と表現されているのです。

幼児的願望を満たされていない大人はずっと不満である

 『幼児的願望』とは、わがまま、頑固、恩着せがましさ、ナルシシズム、依存性、いつでも誉められたい、注目されたい、求められたい。努力したら「よくやったねー」と言われたいことを指します。
 周囲の人にはいつも自分の話をしてもらいたい、だから人の話題はつまらない。
 いつも自分一人が得をしていたい、でも利己主義とは言われたくない。
 損するのは嫌、でも寛大な人と言われたい。
 辛い自分の気持ちを汲んでもらいたい。
 幼児的願望を満たされていない大人は、この不満をじっと我慢をするしかない。朝起きてから夜寝るまで不満である。

【引用元】加藤 諦三(2007). 自分のうけいれ方(愛蔵版) (Kindle の位置No.338-339). 株式会社PHP研究所.

恩を仇で返す人間なんて死ぬほどいる

 恩を仇で返す人間なんて死ぬほどいらっしゃいます。
 恐らく感覚的にはその方が多いです。
 あと難しいことに「どう返す」のかがずれている方もよくいらっしゃいます。
 まあ自分も恩を仇で返したことがあります。

「情けは人の為ならず」

 「情けは人の為ならず」とは、他人に情けをかけておけば,巡り巡っていずれ自分によい報いが返ってくるという意味を表すことわざです。
 自分は見返りを求めず、常に人には親切に接するべきであるという教訓を含んでいます。

自分がすべきことをいつでも行ってそれで満足する

 相手を手伝う際に何かしらの見返りを求めてしまうと、もし相手から感謝もお返しもなかった場合には、自分が協力したことを後悔したり傷ついたり、時には相手へ怒りの感情すら抱いてしまう可能性もあります。

結論 最初から見返りを期待しない

 従い、「最初から見返りを期待しない」方が正しいです。
 いつでも自分がすべきことをしてそれで満足しましょう。

 見返りを期待するあまり、期待通りに行かないと周りの人を責めるようになってしまえば、自然と人が離れていってしまうでしょう。
 どうしたら相手が幸せかを考えて行動すれば、いつか自分に良い形で返ってくるはずです。