「弱い」のに「強い」ふりをするから疲れる
『自分と他人を許す心理学』という本からです! よろしければどうぞ!
「幸せ」とは欠けているものを認めて生きることから生まれる
「幸せ」とは欠けているものを認めて生きることから生まれる。
私は美人でないと認めるからこそ、美人以上に幸せになれる。
そう認めたことで、その人にやさしさが生まれるから。
【引用元】加藤諦三.自信と劣等感の心理学(だいわ文庫)(Kindle版.p.12).大和書房.
「欠けている」からこそ「生きるエネルギー」が生まれる
「欠けている」からこそ「生きるエネルギー」が生まれる。
人は弱くても好かれる。
弱いのに強いふりをするから嫌われる。
人は何かができなくても好かれる。
できないのにできるふりをするから幻滅され、嫌われる。
誰でも道を開ける。
作者が人生楽になったのは障碍を開示してから
作者が人生楽になったのは障碍を開示してからだ。しかし、社内外の誰も自分が「可哀そうな障碍者」とは接していないと思う。
「能力」と「実績」に対する敬意があるからだと自負している。
作者にとって重要なことは他者の「能力」と「実績」を認めることである。
本当のことが何故言えないのか
それでは何故本当のことが何故言えないのか。それは自分に劣等感があるからであろう。
劣等感は単なる自分の弱点を恥部と思わせる。
人はその恥部を人に見せないために「虚勢」を張る。或いは引きこもり、人と接さない。
本当に強い姿勢とは「ありがとう」と「ごめんなさい」を言えること
本当に強い姿勢とは、「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えること。
自分の弱さを見せまいと悩み、苦しみ、そして心身ともに衰弱していく方もいらっしゃる。
相手に自分の弱さを見せるより、破滅を選ぶ方もいらっしゃる。
たった一言「ごめんなさい」のお詫びの言葉もあれば、流れは変わっていたのに。
「ほんとうは私は弱いんです」と言えればドアは開いた
苦悩の中で「もうどうにもならない」と喚いた方がいた。
彼は火事の中の起きた家の中にいた。出口はいくつもあった。
「ほんとうは私は弱いんです」と言えれば、ドアは開いた。
「ほんとうは私はお金がないんです」と言えれば、ドアは開いた。
「ほんとうは私はそれほど頭がよくないんです」と言えれば、ドアは開いた。
それが言えなくて、突っ張り抜いたあげくに、火事になった家の中で焼け死んだ。
何故言えないのか? それは劣等感を解消できていないから。