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フィリピン大学交換留学記


 私は 2009 年 5 月から 2010 年の 3 月までフィリピンに交換留学生として留学していた。

 留学が大学生活で最も成し遂げたかったことであった。留学が出来なければ私の大 学生活は意味の無いものだと思っていた。そう思ったのは私が高校 1 年生の時にオー ストラリアに 3 ヶ月留学した時でした。3 ヶ月の留学はとても充実したものでしたが、 「 1 年間行ったらもっと英語を話せるようになるだろう」という思いもあった。なの で、大学の 4 年間の間に必ず長期留学を成し遂げようと思ったのである。

 このエッセイは、私の汗あり、涙あり、ゴキブリあり、病気ありの交換留学を綴っ たものである。

1 何故フィリピン?

 そもそも何故フィリピンに留学したのか。国際学部では 11 の地域言語から 1 言語 を選ばなくてはいけないのだが、私はフィリピン語を選んだ。それは英語圏なのでフ ィリピノ語が通じなくても大丈夫だからということと、表記がアルファベットなので とっつきやすいからという軽い気持ちで選んだ。

 しかし、大学 1 年時にフィリピンに 1 ヶ月の短期研修に行った。この短期研修の間、 私はほぼ四六時中日本人と共に行動せねばならず、折角フィリピンに来ているのに日 本語しか話せず、「来た意味が無いのではないか」と 1 ヶ月間ずっと疑問に思って過 ごしていた。しかし同時に、「絶対一人で来て、今度こそは『 100 点だった』と思わせ る留学にしてみせる」と思いました。それがフィリピンへの交換留学を決めたきっか けであった。

2 建設会社で猛バイト

 私は貧乏学生であるので、留学するには自分で留学資金を貯めなくてはならなかっ た。しかし何故か留学が決定するのが 3 ヶ月前なのであまり時間がなかった。そんな 時「建設会社でバイ トしてみないか? 」というメールを頂いた。

 そしたらオフィスで 2 ヶ月間週 7 日朝 9 時から夜 11 時まで働くことになった。すぐに肩こりが激しくなり、サロンパスが欠かせなくなった。

 陰で元々やっていた家庭教師のバイト代を合わせると、40 万円稼ぐことが出 来た。もし先生のお誘いが無かったらフィリピン留学にも絶対行けなかった。こ うして漸くフィリピンに行ける事になる。

 しかしお陰で元々やっていた家庭教師のバイト代を合わせると、40 万円稼ぐことが出 来た。もし先生のお誘いが無かったらフィリピン留学にも絶対行けなかった。こ うして漸くフィリピンに行ける事になる。

3 お金大好きなホストファミリー

 留学先では以前の交換留学生が住んでいた Boading House に住むことになってい た。しかし、着いた途端に契約書を書かされ、 2 か月分の家賃を支払ってもらった時 点で嫌な予感はしていた。「この家を出てもお金は 1 年分払ってもらう」と言われた .

 大音量でテレビをいつも観ていて全く私とコミュニケートしてくれなかった、家によ くゴキブリやネズミが頻出していた、と不満はつらつらと書けるが、結局 4 ヶ月滞在 している。早く別の滞在先を探しても良かったが、逃げた感じがしていてなかなか踏 ん切りが着けなかった。
 しかし、後に述べるがその家が台風で浸水してしまいすぐに 引越しを考えた。


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