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不死は何故悪いのか
最も望ましいのは永遠に生きること?
人生における良いことを剥奪するから、死は悪い。
だとすると最も望ましいのは永遠に生きること、即ち不死だと帰結しそうになる。
しかし、不死が人間にとって最善かどうかを検討するために、次の2つの疑問について考えたい。
1つめの疑問は、「剥奪説」を受け入れる際に「不死は良いことだ」と信じる必要があるか
1つめの疑問は、剥奪説(死によって可能性が奪われるという説)を受け入れる際に「不死は良いことだ」と信じる必要があるかどうかだ。
剥奪説を受け入れながら不死の価値を否定することは、自己矛盾になるのかならないのか。
「剥奪説」を受け入れることと、死は常に悪いと主張することは同じではない
1つめの疑問についての回答は明確だ。
剥奪説(死によって可能性が奪われるという説)を受け入れることと、死は常に悪いと主張することは同じではない。
「人生にもう良いことが何も残っていない」場合は死んだ方が良い場合もある
論理的に考えて、「人生にもう良いことが何も残っていない」という状態は起こりうる。
人生に良いことがなにも残っていないのなら、死によって人生を奪われてもそれが悪いとは言えないだろう。
従い、剥奪説(死によって可能性が奪われるという説)に基づく論理の一貫性だけでは、不死が良いものだと結論づけることはできない。
2つめの疑問は、「そもそも普遍的な真実として不死が良いか」
2つめの疑問は、そもそも普遍的な真実として不死が良いかどうかである。
果たして、不死そのものは良いものなのだろうか。
どの種の人生を想像すれば、永遠を生きてもよいと断言できるだろうか。
2つめの疑問について答えるには、前提条件をはっきりさせる必要がある。
老いや病を抱えながら永遠に生きたいと考える人はいないと思うが、健康的に生きられるならば不死を望む人はいるかもしれない。
著名な方ですと、直近、堀江貴文さんは「不老不死の研究」という本を出している。
だがどの種の人生を想像すれば、永遠を生きてもよいと断言できるだろうか。