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積み重ねる生き方=自己充足的 (コンサマトリー) な生き方

『with コロナウイルスで変わること10・変わらないこと10 』という本からです! よろしければどうぞ!

 私が「議論メシ」及び「議論メシ編集部」で最も学んだことは『自分を褒めるのは自分だけで良い』ということだ。ある方の名言だ。


 彼は「朝起きられただけで自分めっちゃ偉いと思うようにしている」、「自分を褒めるのは自分だけで良い」と常々仰っていて、だからあまり何事にも傷つかない、ブレないのだろうな、と思った。
 ただ、学歴やキャリアで積み重ねてしまうと、「長年築いてきたレールから外れる」のが「死」より苦しい、というようになってしまうのはよく分かる。

「長年敷いてきたレールから外れる」のが「死」より苦しいこともある

 ただ、電通や官僚で自殺した方の気持ちが大変理解できる。
あれは過剰労働で亡くなったというより「長年築いてきたレールから外れる」のが「死」より苦しかったから自ら命を絶ったのだと思う。
 だから「転職すれば良い」「辛い環境からは逃げれば良い」という指摘は正しいがお門違いとは思う。

 しかし、他人は自分の事をそんなに見ていないし、そんなにレールを敷いてもいないというのが自分で分かったのだ。
そもそもレールを敷かなくても良いと思う。
と、他人には言える。自分もそうすべきである。

「刹那的」かつ「積み重ね」の絶妙なバランス

 タイトルを最初は「積み重ねる生き方<自己充足的 (コンサマトリー) な生き方」にしようとしたが、
 「いや、部長の生き方はめちゃくちゃ人生積み重ねていますよ」と議論メシ編集部の部員の方に突っ込まれそうだったので、= (イコール)にした。
 作者は「今死んでも良い」と思って刹那的にいつでも生きているが、なんやかんや積み重ねているのは「積み重ねること」も大事だと思うからだ。

 「小さなアクション」を積み重ねた上で全ての物事が成り立っているのは事実だ。
 例えば「議論メシ」は、黒田さんの緻密なアクションを積み重ねているから、コミットメント率が物凄いコミュニティに成り立っている。
 個人のスキルの話だと、例えば「英語」や「プログラミング」は日々研鑽を積み重ねないと「実務で役に立つレベル」にはならない。

レールから外れても「コンサマトリー(自己充足的)」を

 
 ただ、生き方で「積み重ね」が大事だとは思っていない。

 色々物事は変わっていくし、色々起こるし、体調や精神を崩すこともあるし、大切な方が亡くなることも自分が亡くなることもあるので常に自分が「やりたい」と思っていることをやりたいし、「やりたくない」と思っていることはやりたくないなあと思っている。

 まあ、やりたくないことは日々沢山あるのだが、「可及的速やかに」全てを行っていることで何とか誤魔化すことが出来ている。

 この世は「良い暇潰し」か「悪い暇潰し」の2種類なので「良い暇潰し」の方を出来るだけ多く実行したいとは思っている。

「今、ここ」にある身近な幸せを大切にする感性=コンサマトリー(自己充足的)

『アメリカの社会学者、タルコット・パーソンズが提案したコンサマトリーという概念がある。
 コンサマトリーというのは、日本語では「自己充足的」と訳されることが多いのだけど、「何かの目的のためにそれをするのではなくそれ自体を楽しむ」ということを表す概念だ。

 コンサマトリーの対義語はインストゥルメンタル(道具的) と呼ばれる。
 歩くことを例に取ると、どこかに行くために歩くのがインストゥルメンタルで、歩くこと自体を楽しむのがコンサマトリーだ。』
【引用元】pha(2015). しないことリスト 大和書房 pp. 168

 コミュニティを運営する中で、仕事の成果というのは実はそんなに大して重要なことではないと知ったのだ。
 プロセスがオモロければ良いのだ。知らんけど。

 また、『社会学では、「今、ここ」にある身近な幸せを大切にする感性のことを「コンサマトリー(自己充足的)」と呼ぶ。何らかの目的達成のために邁進するのではなくて、仲間たちとのんびりと自分の生活を楽しむ生き方のことだ。』

【引用元】古市憲寿 (2004). だから日本はズレている. 新潮社新書 pp.566

 まさにコミュニティのことだ。

本の出版は「自己充足的(コンサマトリー)」

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