人生に目的は不要だ
「目的」を探したまま何もしないまま終わる、という状態の方を沢山見たことがある。
恐らく「人生の答え合わせ」で一生を終える可能性が高い。まあそれでも良いのだ。死ななければ。
人は私が行動する目的を知りたがる。
答えは1つしかない。
「面白い」からだ。
「議論メシ編集部」は「面白い」からやっているのだ。それ以上もそれ以下もない。
面白くなくなったらやめれば良い話だ。
人脈をつくろうと躍起になって何百人、何千人と名刺交換し、FacebookやLinkedInの「友達」の数を増やしたところで、仕事に役立つわけはない。
私はそもそも「アイデアを見つけたい」「人脈を広げたい」という考えをもって日々を過ごしてはいない。
「面白い」人達と「面白い」時間を過ごす。その結果、偶然のようにアイデアが生まれ、仕事につながり、遊びにもつながる。
好きなことを好きなだけやっていると、手元に何かが残っているのだ。人生に目的なんてない。
会社での仕事も「目的」ありきなのか?
自分が毎日会社で働くのは「毎日依頼があるから」だ。それ以上何もない。
「お客様やセールスの方のお役に立つ」という前提はあるが、毎日テトリスのように振られてくるブロック(タスク)を一所懸命消すだけだ。
「この行動がお客様やセールスの方のお役に立っているのか」と考えるのは大事だが。
誰だって、おもしろい本や漫画に夢中になって読みふけっているうちに、電車を乗り過ごしてしまった経験はあるだろう。
周囲の人間が引くくらいに無我夢中になり、熱狂的なまでに没入する。そうなればこっちのものだ。
仕事に没頭し、遊びに没頭し、夢中になれさえすれば、目的なんておのずと達成される。結果はあとからついてくる。
子どもはやりたいことをただやる
子どもはいつだって、目的なんて考えない。楽しいから遊ぶ、おいしいから食べる、寝たいから寝る。常識や周りの目を気にすることなく、生きているから、驚くほど成長が速いのだ。
今生きている時間、この瞬間を楽しまず、ただ歯を食いしばって努力したところで、思うような成果なんて得られない。
人は年を取ると、今まで培ってきた人脈や経験にがんじがらめになり、新しい刺激に身をさらせなくなる。自身を変革し続ける柔軟性を失ってしまう。
変わる人と変わらない人の違い
部長に話しかける人は大抵、「変わろうとしている方」だ。
変わろうとしなければ部長に話しかけたりしないし、こちらから声もかけない。
変わる人と変わらない人の違いは何だろうと思ったら、「解が沢山見えているか見えていないか」だとは思う。
「解が2つ位しか見えていない」と、何言っても「でも・・・」で返される。
逆に「解が多く見えている方」はアドバイスを一旦聞いて、自分が「そのアドバイスを活かすかどうか」判断する。
人生に目的は不要だ
今がすべてであり、「将来の夢」や「目標」なんて必要ない。
新しいアイデアが次から次へと頭に浮かび、毎日がおもしろくてたまらない。
自分はそんな人生をこれからも送っていきたい。
人生にゴールや終着点なんてあってたまるか。
「普通の人と同じレベルのこと」をやって、それに何の価値があるのか。
「貴方しか出来ないことをやらないと価値がないでしょう」とはよく思います。
「貴方自身しか生み出せない価値」を生み出してください。
【参考】東洋経済オンライン『堀江貴文氏「人生に目的なんて一切いらない」 「永遠の3歳児」として、今だけを全力で生きよ』
https://toyokeizai.net/articles/-/176629