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「コミュニケーションの断絶」とは

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人には「天才」「秀才」「凡人」の3種類がある


  人には「天才」「秀才」「凡人」の3種類があります。

「天才」「秀才」「凡人」とは

 天才は、独創的思考にすぐれ、その人にしか思いつかないようなプロセスで物事を進められる方を指します。
 秀才は、論理的思考が得意で、システムや数字、秩序に基づいて堅実に物事を進められる方を指します。
 凡人は、感情やその場の空気を大切にしつつ、相手の反応を予測しながら動ける方を指します。

成果を出す前の天才は、コミュニティの和を乱す存在に見える

 凡人にとって、成果を出す前の天才は、コミュニティの和を乱す存在に見えるのです。
 そして天才をコミュニティから追い出そうとします。
 ここに天才と凡人の「コミュニケーションの断絶」が存在しているわけです。
 こうして天才は、凡人に殺されてしまいます。

多数決は「天才を殺すナイフ」

 コミュニケーションの断絶は、軸と評価の2つで起こる。軸は絶対的で、その人が「価値」を判断する前提となるものです。
 一方、評価とは、軸に基づいて良し悪しを評価することです。
 これは相対的であり、相手の考え方に共感できるか否かで決まります。

私はM-1が好きで、ホリエモンはM-1を嫌い

 例えば、私はM-1が好きで、ホリエモンはM-1を嫌いだとします。

厳密にいうと、ホリエモンは「ピン芸が好きで、漫才は嫌い」なのではないか

 お笑い好きは全員「R-1、2回戦で敗退してんじゃないか」という突っ込みは浮かびますが、「ハンバーグ師匠」を評価しているのならギャガー(ギャグをする方)が好きで、ホリエモンは「ピン芸が好きで、漫才は嫌い」なのではないかという仮説が出来ます。
 ピン芸人をリスペクトしているので「R-1」には出場した、というのは理解出来ます。

 ここでコミュニケーションの断絶が起こったとしたら、それは「評価」が原因です。
 評価は相対的なものだから、作者がホリエモンにロングコートダディさんの魅力を夜通しプレゼンし、それに友人が共感したら、評価は変わります
 作者は「人間に生まれ変わるならロングコートダディの『堂前透』さんになりたい」と思っております。

ロングコートダディの堂前透さんの魅力は「幸せに貪欲ではないからありきたりな幸せを享受する力があり、器用な天才」

 ロングコートダディの堂前透さんの魅力は「幸せに貪欲ではないからありきたりな幸せを享受する力があり、器用な天才」なところです。
 最近自分は「幸せに貪欲過ぎる」からこんなに苦しんでいるんだ、と堂前透さんを通じて理解出来たのです。
 従い、「人間に生まれ変わるならロングコートダディの『堂前透』さんになりたい」と思っております。
 というか私は全ての漫才師にリスペクトがあります。

私は全ての漫才師にリスペクトがあるのでホリエモンとは軸が異なります

 一方で、「軸」は変化しません。
 だから「軸が異なること」によるコミュニケーションの断絶は、殆ど平行線です。
 従い、私とホリエモンには断絶が一生生まれるでしょう。

天才と秀才と凡人は、この「軸」が根本的に異なる

 天才と秀才と凡人は、この「軸」が根本的に異なります。
 天才は「創造性」という軸で物事を評価します。
 秀才は「再現性」で、凡人は「共感性」によります。

 3つのタイプによってそれぞれ異なる「軸」。
 これこそが、コミュニケーションの断絶を引き起こしています。

まとめ 凡人は「多数決のナイフ」によって天才を殺し得る

 凡人は天才よりも遥かに多く存在します。
 だから凡人は、「多数決のナイフ」によって天才を殺し得ります。
 AirbnbやUber、iMacなどの革新的なサービスが凡人によって叩き潰されそうになったのも、この「軸」の違いによるものです。

【参考】北野唯我(2019).『天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ』.日本経済新聞出版社