これからは、個人発で特定の集団経由で夢実現?かな。
私は、3人兄弟の末っ子である。昨日も、久しぶりにすぐ上の兄と電話で会話した。生まれ故郷に帰ってからは、この次兄とは電話したり、スケジュールを合わせてカラオケやボーリングに行く仲である。そしてもう1人の兄は、現在海外である。このもう1人の兄である長兄は、中国で語学留学した後、東南アジアに渡りとある国で日本語教師になった。 この長兄の誘い?で私は、26歳で初めてパスポートを作り、海外に渡った。
周りに迷惑のかけっぱなしの海外渡航
若さとはいえ、私の海外渡航は、周りに迷惑のかけっぱなしであった。学校推薦で入社した会社を退職し、その当時交際していた彼女には結婚を延期してもらい、アパートを引き払うときの家財道具の処分は、会社の同僚に頼んだりと。
長兄がどういう心境で、私を呼び、何をしたかったのか、その時は、あまり深く考えずに勢いだけで、決行した海外渡航であった。
海外初体験が、いきなりの海外居住となる大変さも、あまり実感もないまま、また途中で飛行機を乗り換えて行くことの意味も、良く分からずに出発当日を迎えたのであった。
とりあえず、無事に飛行機に搭乗して、あとは、一路目的地へ。そう思っていたのだが途中で飛行機の乗り換えのアナウンスを聞き、改めて思い出したのであった。途中の中継地では、時差を全く理解していなかったので、乗り換えの飛行機にギリギリで乗れたのであった。
とまあ、こんな珍道中で私の海外渡航はスタートしたのであった。そして無事に目的地に到着するとそこには長兄が迎えに来てくれていた。最初の生活は、見るもの聞くもの食べるもの全てが珍しく楽しかったのでした。
さて、そういう、いきさつで始まった私の海外生活は大したトラブルもなく過ぎていったのです。ただし、結婚を延期した彼女からは、別れの手紙が来ました。
まあ、見限られたのでしょう。私のわがままが原因なので、文句は言えないですよね。
海外の学校で体験した生徒達の行動。
そして、日本の学校とは違って生徒が自主的に行動するのは、驚きでした。今でも、一番記憶に残っているのは、クラスの生徒達が一致団結して、学校側に先生の交代を要求したときです。 もちろん、リ―ダ―となる人物がいて、その人のもとで団結したのですけど。
それでも、私にとっては生徒達が自主的に行動するという事態、そのものが衝撃的でした。
自主的に行動することの意味するもの。
うまく言えませんか、その時以来、私は自主的に行動することを自分自身に課して実践してみるようになったのです。
人が、ひとりきりで、発言しているだけでは、いわゆるひとりごとです。
でも、そのことを他の人に伝えて共に行動してもらえるようになると事態は変わってきます。
ひとりから集団へとつながるプロセス。
このプロセスが大事では。人は、己れの人生の中で、多岐に渡って、たくさんのひとりごとを発信していることでしょう。 で、その発信された内容がもとになって、他人を行動させることができれば、ひとつの集団ができることになるのです。
集団から、その先につながること
こうして、出来上がった集団は、さらにその先にある夢につながる架け橋になるのです。
もちろん、この架け橋、最初は細い綱だけかも知れません。ひとりづつしか渡れないでしょう。 それでも、この集団が団結して行動することで、この架け橋は強く、大きくなっていき、最終的には多くの人達が渡れるようになるのです。 こうして夢が実現するのです。
最後まで、お読み下さりありがとうございます。だらだらと長文になってしまいました。
このテーマは、自分の人生に深く根ざしているので、今後とも形を変えて表現していきます。