焼失したものが再建されている、これを後世にどう?伝えるのだろう。
写真は、明治時代に焼失したお城の門を再建したものです。
子供のときから、見慣れていたのは、門のない城跡だけのものでした。
確か、この門を再建するにあたり、寄付を募っていたのを想い出したのです。さすがに、人口が6年も連続して減少している自治体で全額税金で賄うのは難しかったのだろう。
そんなことを考えながら、改めて、再建された門を見て、思ったのは。
不自然、いや、景色に合っていない?
だが、門の前を通る人達は、口々に、「凄い」とか「立派なのができるんですね」と言うのです。おかしい?な。この門は約150年近く前に焼失したのですよ。皆さん見たことないですよね。なのに何で、そんなコメントが出て来るのだろうか?
不思議に想いながらも、自分のあらゆる限りの想像というか、妄想?をつくしてみたのです。この門の再建に寄付や協力を申しでた人達の思惑とか打算とか等。
真っ先に思い付いたのは、観光業界ですかな。
確か数年前に明治維新150周年とか大河ドラマとのコラボとかで全国向けに宣伝してましたから。
次に思い付いたのは、あれぇ?またぞろ、世界遺産の周囲を再建してその世界観にマッチングさせることで、世界に向けて、アピールする。
やっぱりすごいけど、観光業界?
とまあ、結局、ここに落ち着く。
焼失した文化財を再建することは、きっと意義のあることでしょう。
でも、やはり気になるのは、過去において、さまざまな事情で、再建されなかったものが、自治体の人口減少に伴う税収減少の今、再建することの意義?ですよね。
この再建された門を、これからの後世にどう?伝えるのだろうか。
ただのハコモノの門? もし、そうなら、過去のバブル時代のハコモノ行政から抜け出せていない。
そんなことは、ないですよね。
だって、もしそうなら、都会と違い低賃金で、しかも全国平均に比べ長時間労働が多い、この地域から若者は、見切りをつけて出て行くのが止まらないってことになる。
でも、この記事を書きながら、今、まさに思ったのですが、若者どころか、私のような、よその土地での居住経験者も、見切りをつけて出て行く可能性は大だよな。
でもですね。ここは、自分の生まれた土地、そして両親も生まれて天国に旅立った土地、言わば自分史みたいなものなのですよ。
やはり、おいそれとは、見切りをつけられないのです。
う~ん どうやら後世に伝えるのは、見切りをつけれるかどうかの迷い?だけみたいです。