物語と行動経済学②
人生はドラマチック
私は良く学生にこの言葉を伝えます。
「人生はドラマチックである」と。
その理由は、
人それぞれに様々な物語があるからです。
余裕がない人は、
それを物語と捉えられず、
「何で自分ばっかり…」
と悲観しています。
全てがドラマチックであると捉える事が出来れば、
人生はこれほど愉しいことはないのですから…
日本人として誇れる英雄
2020年3月
私はハワイに行きました。
新型コロナウイルスの影響が心配だったのですが、
大変お世話になっている方々と共に、
ハワイでやるべき準備があったからです。
ハワイでの出来事も然り、
私たちが帰って数日後にハワイが
「ロックダウン」となった事も劇的だったのですが…
実は様々な奇跡も起きていました。
奇跡の話は次回以降にするとして…
私たちがハワイに降り立ったのが、
ダニエル・K・イノウエ国際空港でした。
ダニエル・K・イノウエ氏の功績
アメリカの素晴らしさ…
それは、
功績ある方の称え方が素晴らしいのです。
2017年4月27日に空港の新名称として、
ハワイ州出身で、
「日系アメリカ人初の連邦上院議員」だった、
ダニエル・K・イノウエ氏に由来するのです。
ダニエル・K・イノウエ氏は、
日本名を井上 建〈いのうえ けん〉と言います。
父親は何と福岡県八女市で生まれだそうです。
人物名を空港名にすれば、
世界的に認知度が上がります。
私もハワイに行くまでは、
ダニエル・K・イノウエ氏の功績を、
ココまで深く知る事はありませんでした…
ハワイ大学在学中に真珠湾攻撃
ダニエル・K・イノウエ氏が大学時代、
日本軍による真珠湾攻撃が行われたのです。
日系人として生活していますので当然…
戦争突入時は日本人として迫害を受けた事があります。
しかしダニエル・K・イノウエ氏は、
アメリカ人としての忠誠心を示すために、
アメリカ軍に志願しました。
そこで…
アメリカ陸軍の日系人部隊である
【第442連隊戦闘団】に配属され、
激戦中の激戦と言われるヨーロッパ前線へ送り込まれるのです。
第442連隊戦闘団
第442連隊戦闘団とは、
ほとんどの隊員が、
日系アメリカ人により構成されており、
【アメリカ合衆国史上最も多くの勲章を受けた部隊】
としても知られ、
死傷率31.4%と言う大激戦を繰り広げました。
少尉に昇進していたダニエル・K・イノウエ氏は、
1945年4月にイタリアでドイツ国防軍と戦います。
この時に死闘を繰り広げた実話がありますので、
説明文全文を書いておきます。
ドイツ国防軍との劇的戦い
ダニエル・K・イノウエ氏が小隊を率いて、
ドイツ軍の堅固な防衛線を攻撃した際、
【36メートルほどの至近距離から三挺の機関銃から射撃】を受けた。
ダニエル・K・イノウエ氏は腹部に銃弾を受けたが、
手榴弾と短機関銃で二挺を撃破!
倒れ込んでもなお攻撃を続けた。
ダニエル・K・イノウエ氏が最後の機関銃座ににじり寄り、
手榴弾を投げ込もうとして右腕を振りかぶったところ…
ドイツ軍兵士が発射した小銃擲弾がその右腕に命中、
炸裂はしなかったものの、
腕はわずかな腱や皮膚を残して切断寸前となった。
イノウエの手榴弾は安全ピンが抜かれてはいたが、
右手の指が安全レバーを握りしめた状態だったため未発火であった。
戦友たちはイノウエを助けようとしたが彼はそれを押しとどめ、
右手の手榴弾を左手でもぎ取り、
機関銃座の銃眼に投げ込んで炸裂させた。
その後、
千切れかけた右腕をぶら下げたままダニエル・K・イノウエ氏は、
左腕一本で短機関銃を操ってなおも戦闘を続けたが…
左足にも負傷して昏倒した。
多くの部隊員とともに数々の勲章を授与され帰国し、
日系アメリカ人社会だけでなく、
アメリカ陸軍から英雄としてたたえられた。
政界へ進出
ダニエル・K・イノウエ氏はその後、
ハワイ大学に復学して政治学を専攻します。
そして1959年、
民主党からハワイ州選出の連邦下院議員に立候補し当選、
アメリカ初の日系人議員となったのです。
アメリカでは議員になれば、
「右手を上げて宣誓」をしなければなりません。
しかし彼は右手がありません…
ダニエル・K・イノウエ氏は「左手」を上げて宣誓をしました。
この時…
心無い議員がダニエル・K・イノウエ氏を愚弄します。
しかし!
別の議員が「彼の右手はアメリカに捧げたのだ!」と語り、
全ての偏見が消え去ったそうです。
大統領継承順位第3位の高位へ
ダニエル・K・イノウエ氏は、
1963年から50年近くにわたって、
上院議員に在任していた長老議員です。
アメリカ合衆国上院仮議長まで登りつめたのですが、
上院仮議長は実質名誉職ではあるものの、
大統領継承順位第3位の高位との事です。
とても凄い事であり、
アメリカ歴史上、
アジア系アメリカ人が得た地位としては、
過去の中でも最上位となっています。
物語と行動経済学②まとめ
今回の物語は…
ダニエル・K・イノウエ氏について書かせて頂きました。
日系二世である事で、
第二次世界大戦時では間違いなく迫害を受けています。
それでもアメリカに忠誠を尽くす意味で、
アメリカ軍に志願。
激戦の中の激戦最前線で右腕を無くしつつも、
守るべき人の為に戦う姿勢…
アメリカに認めさせた日本人として、
我々も誇れるのではないでしょうか?
2012年12月にダニエル・K・イノウエ氏は、
病院で息を引き取ります。
死去の前の逸話があります。
「ハワイと国家のために力の限り誠実に勤めた。まあまあ、できたと思う」と述べ、
最後の言葉は「アロハ(さようなら)」だったそうです。
私はコロナ騒動が終われば、
真っ先にハワイへ向かいます。
やるべき事が止まっているからです!
そして…
ダニエル・K・イノウエの墓前に行く予定です。
人は感情で行動しますね…本当に。
一緒に行ける方はぜひ行きましょう!
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