見出し画像

安野光雅さんの訃報に思い出した30年前の出来事

2020年12月24日、画家の安野光雅さんが94歳で逝去された。

訃報に接して、不意に思い出したのが、30年あまり前、北京に駐在していた時、私の勤務しているホテルを訪れ、一緒に食事させていただいたことだった。

当時私は所属していたサッポロビールから出向で、北京の天橋賓館というホテルで働いていた。同じサッポロビールから出向していた金子総経理が北京にいらした安野さんとお食事をするというので、同席させていただいた。

その時、何を話したのか、当時まだ二十歳そこそこの若さだったから、大した話もできなかったのだと思うが、安野さんが描く絵のように優しく大らかな方であった印象が残っている。小さな頃から読んでいた絵本「ふしぎなえ」の裏表紙にサインをいただき、心の中で「保育士をしている母に見せたら、どんなに感激するだろう」などと思っていた。

スクリーンショット 2021-01-18 21.49.36

安野さんの作品をあらためて拝見したところ、1986年には、『中国の市場 北京/大同/洛陽/西安』 『中国の運河 蘇州/杭州/紹興/上海』 、翌年1987年には『中国故景』 、2000年には『安野光雅のイラストレーション 中国故景』 を出版されていた。私が北京に駐在していたのは、1990年からのことだから、安野さんがお仕事で北京に来られたのか、それとも単なる旅行のか、定かではないが、お一人だった記憶があるので、やはりお仕事関係の旅だったのかもしれない。

安野さんが描いた中国は、私の思い出の中の中国とも重なる。北京の胡同の風景、人々の姿、今は消えゆく情景を安野さんはしっかりと絵で残してくれた。

スクリーンショット 2021-01-18 21.56.05

2008年から『繪本 三國志』 など三国志をテーマにした作品も多く、中国にもよく訪れていたようだ。

人の縁というのは、本当に不思議なものだと思う。あの時代、私が北京で働いていなかったら、きっとお目にかかることもなかっただろう。

日々の暮らしに忙しく、30年間以上、安野さんとの食事のことすら、記憶から遠くなっていた。それが、安野さんの訃報を契機に、不意に蘇り、安藤さんがどんな方だったのか、どんな作品を残したのか、もう一度安藤さんという人物に再度興味を持つきっかけにもなった。

故郷の津和野には、安野光雅美術館があるとのこと。津和野にはまだ一度も訪れたことがない。今度是非一度足を運んでみようと思った。

安野光雅さんのご冥福を心からお祈りする。



いいなと思ったら応援しよう!