心の迷いと気持ちを安定させ強くするための修行(瞑想等)
創業者の父親への萎縮と劣等感
ワンマンでやってきた、やり手である強烈な個性を持った親父の威厳の前に、私は萎縮しやすかった。
どうしても親父の前に出ると苦手意識が芽生えた。
小学生の頃から萎縮してきたし、食卓はとくに苦手だった。
創業者に睨まれた二代目蛙
だから親父が食卓にいない時、私はホッとしていた。
この例を持ってしても、私がどれだけ一代目に気持ちが飲まれていたかわかると思う。
そんな私は、当然のごとく、心が不安定になった時期がある。
その都度、私は自分の弱さを嘆き、どうしたら親父のような強さをもてるだろうか、苦慮し始めた。
心が落ち着かない、不安だらけで自信もない。
弱い自分が許せなく、私なりに頑張ったが、いつまでの親父の前では小さくならざるを得なかった。
その葛藤はずっと続いた。
こんな自分が、もし将来親父の跡を継いだ時、立派にやっていけるのだろうか?
そんな将来の不安もあった。
自己の啓発を始める
この現状を打破しなくてはいけない。
私は何かしなくてはいけないと思った。
このままいったら、自分は潰れてしまう、という危機感が襲ってきた。
どうにもならない不安定な私の心
それを変えるために、自己啓発の本を読み始めた。
なるほど、いいことが書いてある。
が、多くの人と同じく読んだときはちょっと心が落ち着くものの、根本的には解決ができない。
相変わらず苦手な場面では苦手だった。
自律訓練法による変化を期待
こうなると心の部分に直接働きかける方法で、どうにかしなければいけない。
だから、私は自律訓練法によって、自己改革しようと思い立った。
自律訓練法は二年ほどやっただろうか。
一向に変わらない。
そして、瞑想を自己流で本を読みつつやり始めた。
しかし心は安定しない。
やればやるほど雑念に支配されて、落ち着かなくなった。
私は何をしてもダメな自分に嫌気が差した。
資格勉強は頑張ったものの、肝心の心根の部分、親父に負けない気持ちを獲得するために努力したこと、すべてで結果が出なかった。
創業者の親父以外にも萎縮
相変わらずの親父の前における萎縮の日々。
友人から言わせれば、あんな親父を持っていたんじゃな、と同情されるも、凄腕の社長であることは間違いない。
まだ親父の下で働く社員や取締役にも、私は萎縮し始めた。
これに関しての劣等感は、今だから書けるが、相当なもので、うまくいかない人生に悔しい思いをする毎日を送っていた。
瞑想への救い
独力の瞑想に限界を感じて、瞑想修行を行うセミナーに通ったこともあった。
そこで同じ悩みを持つ人間と出会い、心がほっとしたことがあった。
俺だけじゃないんだ!
彼らの存在は私を勇気づけてくれた。
一方、瞑想の方は、一人でやるよりもよかったものの、心の安定まではいかず、瞑想状態に深く入ることはなかった。
迷いがどうしても私の頭を支配する。
やればやるほど迷走していくようだ。
心の安定はならず、心の強くならず、逆に私の迷いの強さを認識することとなった。
この時の経験は実はマイナスにはならず、次なるステップにいくためのエネルギーとなったのだが、当時の私は暗く沈んでいた。
友人には考え過ぎだとか気楽に行ったほうがいい、人は人だ、とも言われた。
たしかにそのとおりだが、どうしてもそう思えない。
私の迷走ぶりはこの時が一番ピークだったと思う。