あがり症の弱点と弱い自分と強圧的な親父

立場・肩書をなくしたら、丸裸の私

社長である前に、その虚飾を脱ぎ捨て一人の裸の人間としてみた場合、私はあまりに弱くもろく不安だらけで自信がなかった。
運良く二代目社長としてあとを継ぐことができただけの話で、なんら人間力も仕事力もメンタルタフネスもない小さな小さな存在だった。

それが嫌で嫌でたまらなかったら虚勢を張って頑張ろうとしたが、万が一周囲の人間をだますことができても己の心だけは騙せなかった。
もちろんその過酷な現実を受け入れるだけの度量が当時はなかった。
かといって現実と理想のギャップは厳然として存在していたわけで、それだけで私の心は軋み始めていた。

現実を受け止めることは過酷だ

親父の代からの古参幹部や古参社員の中で(それも社畜としてではなく自分を持っている者達)、勘が良い人間は私のその薄っぺらい人間力を見通していただろう。
だからいくら頑張っても彼らの受けは良くなかった。
当たり前だ。
私は、それだけの人間だったから。

ただそれは今だからこそ自分はみみっちい存在だったとか、虚勢を張っていただけの自分がない人間だったと言えるが(それは今精神的余裕と自信があるからだ)、当時はもう恐ろしくて恐ろしくて現実を見られなかった。

ちっぽけな私を直視するには私はあまりに弱かったし自信がなかった。
そこから目を背けて、いくら瞑想修行をやろうが修験道をやろうが、根本がもろいのだから効果がなかったのもうなづける。
本を読んでも同じことだ。

思えば私の今までの自己啓発的行動は、自分を強くするためもあるが、自分の弱さをおざなりにして、体裁だけ繕ってどうにかよく思われよう、強い人間だと思われようとしていただけの小細工に思える。

私のコンプレックス、緊張のしやすさとあがり症

私にはたくさん弱点があった。
その中でも人前に立つだけで体が震えるほど緊張しやすかった。
つまりあがり症だったのだ。
説得力のある言葉を社員たちの前で、しかも古参社員の前で吐けるかといえば決して無理だった。

変に思われないように場を取り繕っていただけの訓示だったし、魂のある言葉なんか当時の私には無理だった。
先代社長の親父は違っていた。
叩き上げの親父の言葉は重みがあった。
そこに私はコンプレックスを持った。
いや以前からコンプレックスを感じていた。

親父への萎縮があがり症を作る


私があがり症になったのも親父の強圧的な態度が発端だった。
子供時代から親父の圧力に怯えていた。
親父が在宅時、食卓についたら、自分があまり礼儀作法がないくせに、子供にはとにかく厳しかった。

じゃあ親父のマナーはどうなんだと指摘したかったが、そんなことをしたら鉄拳制裁だった。
とにかく自分が絶対的正義、家父長的、封建的な存在だったから、私はすっかり萎縮してしまった。
親父が在宅時は飯も喉に通らないくらいストレスが強かった。

だから出張や仕事が忙しくて家にいない時、本当に伸び伸びできた。
もちろん鬼の居ぬ間の洗濯だったし、親父が戻ってきたらすべてが張り詰めた空気になるのはわかっていたから、内心親父がいなくても怯えていたのだが。
だからあんまり子供らしい態度を親父に示したことはなかっただろう。

幼稚園までさかのぼったら、過去の写真を見る限り、珍しい親父の笑顔と私の無邪気な笑顔があったわけだから、一家団欒的なぬくもりもあったかもしれないが、物心ついてからはそんな記憶は殆ど無い。
とにかく親父への萎縮は、そのままスライドし、人前での萎縮につながった。

緊張をコントロールできなかった

私はとにかく人よりあがりやすかった。
足がガクガク震え、人前に立つと声もか細くなるタイプだった。
冷静な頭なんかなくなるし、焦って普通を装うために頑張ろうとしても、余計力が入って緊張してしまっていた。

そんな人生だったのだから、特に古参社員を前にしては、喉が締め付けられたり呼吸が息苦しくなり、とにかく萎縮してしまった。
こういう弱点を受け入れる度量がなかったから、臭い物に蓋をして生きようとしても、私の弱点を見透かすような人間(と私が判断した人間)は特に苦手だった。
そういう人間と話すだけでも緊張感が半端無く襲ってきた。

これでは親父を超えることなんてできないし、しかし私の社長という立場上、どうしても社員を導いて、業績を上げ続けなくてはいけないというプレッシャーの板挟みで本当に苦しみ続けてきた。

二代目社長の苦しみはなった人間のみわかる

よく二代目社長は「楽に社長になれていいですね」と羨ましがられたり、裏の意味でやっかみというか蔑みの言葉をかけられるのだが、あのプレッシャーだけは体験した人じゃないとわからないだろう。
産みの苦しみを味わい、失敗をものともせず邁進し続けた親父はたしかに凄いが、それとは別の苦労がある。

それに二代目だろうが、新しく生み出さなければいけないことはたくさんあるのだ。
思い返すに、当時の弱かった私は、そんな土台の自分だったのだからいくら強くなろうとあがいても無理だったはずだと思う。

メンタルタフネスを獲得する秘訣

今も苦心惨憺でそれでも頑張っている人も多いと思うが、私が遠回りをしてしまった轍を踏まないように、もし弱点があっても土台から自分をしっかりと見つめなおす覚悟と強さを持って、その上で自分を啓発していくべきだと思う。

時間は限られているし、精神的強さというものは時間が解決してくれないものなのだから。
自分は弱い人間、だからこそ強くなれる。
強い人間は、自分が弱い人間だと誰よりもわかっている人間だ。
本当にそう思える。

参考サイト:メンタル強化方法

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