心を安定させ強くするための修行(自己暗示)
瞑想はライフワークだった
私自身の心への探究心はまだまだ続く。
瞑想は私のライフワークになったが(岩波先生との出会いで決定的になった)、やらないよりやったほうがまだまし、という時期が続いた。
私の心がどうにもならない。
私は迷いに迷っていたから、少しでもすがるものが欲しかったと思う。
もし瞑想をやらないままいたなら、もっと私の心は迷走していたに違いない。
それに瞑想をやることで、少しは格好つけたかったからだ。
私はかなり迷っていた。
私の進むべき道がわからなかった。
親父の跡を継ぐという漠然としたものはあったのだろう。
しかし、不安だらけだった。
私には強さが足りない、一番私がわかっていた。
親父もよくわかっていた。
叩き上げなだけに、私の甘いところはイライラしていただろう。
自己暗示の効果について
もっと私は自分のメンタルを強くして、どうにか安定させるために直接的な方法を思いついた。
徹底的に暗示を聴き続けることだ。
「思考は現実化する」と言うように、暗示を常に私自身にかけていけば、いつか強くなることにつながるのだと、ちょっと今から考えて甘い考えをしていた。
そりゃそうだ。
誰だって思いを持っている。
それを現実化させようと自分に言い聞かせているはず。
私だけじゃない。
私よりももっと苦境に立たされた人は、切実に自分に魔法の言葉を言い聞かせているはず。
しかし、低迷した人間は、ずっと低空飛行なのは世の中にざらにある。
そこから這い上がれるほんの一握りの人間だけが、春を謳歌している。
しかし、余裕のなかった私は、暗示をとにかく聞き続けることで、自分を変えようと思っていた。
ほんの一握りの存在になるために。
ある自己啓発のセミナーを行うところから、暗示セットを購入した。
結構料金がかかった。
私はその時、安易にこれを聞けばなんとかなると思っていた(思いたかったのかもしれない)
暗示は潜在意識には染み込まない
いまだから言えることだが、暗示をいくら聴きまくっても、ある精神状態に入らない限り、無意識に染み込まないものだ。
私は理性全開の状態で聞いていた。
それではとてもじゃないが、メンタルブロックを突き破って無意識に入り込まない。
とはいえ、聞かないよりも聞いたほうがましだったため、効果に疑問を感じながら毎夜聴き込んでいた。
電車でも散歩の時でも。
親父が来たらバカにして鼻で笑うに違いない。
お前はそれに頼ろうとしている時点で、すでに敗北者なのだと、言ったに違いない。
それがコンプレックスになった。
次第に暗示を聞かなくなった。
高いお金も無駄になってしまった。
自己暗示が潜在意識に定着するときの条件
後に私が体験してわかったことは、自己暗示はとても大事だけど、自分の壁(=理性)を乗り越えるぐらいならないといけないということ。
つまり意識が極度に変容して「バカになっている状態」で聴きこまないと、馬耳東風状態になるということだ。
精神状態が自分の作っている理性を飛び越えないと、どんなありがたい暗示も意味がないのだと。
いわゆるトランス状態とか究極の変性意識状態に入らないとダメだということだ。
ただ暗示CDを聴きこんだだけじゃ、とてもじゃないがうまく行きっこないのだ。
逆に言えば、暗示CDを発狂するくらい聴きこんで、変性意識が極まる状態に持っていけば不可能ではないということだ。
しかし、現実にはそこまでやる人はなかなかいない。
というのも、そこまで出来る人は、そういう自己暗示CDに頼らなくても、別の形で大きな成果をあげられる人なのだから。
つまり、自己啓発というたぐいは、成功したい人がやるのだけど、ほんとうに成功する人は、そこに頼らないものだという思いに私は至った。
口悪く言えば、成功したいけれど、成功できない人間が受けるものではないかと思う。
自己啓発をやる時点で、本当に成功する人間はその時間とお金と労力を別のことにかけているから、その差は一生縮まらないのだ。
成功する人、頑張っても成功できない人
成功するためには人と同じ事をやってはいけない。
自己啓発やそれ系の本を読むことは、その時点で普通の人間になっている。
だから、成功したくてもできないのだと思う。
でも、私はまだまだ若く、決定的な方法に出会ってもいなかったから、何をしても迷っている人間だった。
それじゃあ、親父に鼻で笑われるのも無理は無いと思う。
(当時は悔しくてたまらなかった。憎しみを持つほどだったが、いまはしょうがないとも思える)
もし心を強くしたいのならば、人がたどった道を安易にたどると、いくら自己暗示を入れても瞑想で心の安定を図っても、意味がないのだと私は思っています。
普通に埋もれてはいけない。
自分の個性を発揮して、主体的に立ち動くことこそが、人と差を広げる最大の方法なのだと気づくまでに私はまだまだ無駄な時間を重ねなければいけなかった。