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選べる
僕は自分で選んできた。
それを認めるのが怖いだけだ。
間違ってしまったという事実を、傷つけてしまった理由を「自分ではどうしようもなかった」と、思いこまないとやりきれなくなってしまう。
だって僕は正しくないといけないから。
他人と上手く交われない僕はこの世界では生きていけないと思った。
だって、この世界は僕を受け入れてくれないんだもの。
小さい頃から、僕の見えていた世界は「人が怖い世界」。
人見知りなのも、気弱なのも、人の機嫌をうかがうのも、嘘をつくのも、比べてしまうのも、羨ましくなるのも、落ち込むのも、それは全部「人がいるから」。
僕が居なくても、この世界は何にも変わらない。僕が逃げられない選択を迫ってくるくせに。
僕は好きでこんな自分を選んだわけじゃない。
あんな環境じゃなかったら、もっと理解してくれる人がいたら。
僕は自分でちゃんと選んでなんかいない。
全部真実で、全部言い訳。
どんな選択も自分が選んできた。
選ばされたと思いこんでいたいだけ。
「エラベル」を書けてよかった。
僕はこんな風に歌いだす
僕が居なくなっても回り続ける世界
居座ることを選んだんだ
そして、こんな風にも
僕は神様にきっと選ばれているんだと
そんな理由を選んできたんだ
生きることを、どんな形にせよ選んできた。
人のせいにしようが、言い訳をしようが。
どんな物差しで測って、どんな答えを出して。
いつも他人の顔色を伺いながら、他人の答えを想像しながら決めてきた。
その裏にはびっしり「自分はこんなにも不幸なんだ」「自分はこんなにも辛いんだ、こんなに苦しいんだ」「それでも頑張って生きている僕に早く気づいてくれよ」、ばかり。
それでも生きてきた。
これを自分勝手だと思える心が生まれたのも、生きてきたからだ。
相手の顔色伺って、相手の気に入るようなことを探して、それで相手が喜んだのを心で馬鹿にして、でも、喜んでいる顔を見たらそれはたまらなく嬉しくて。
僕の存在価値があるような気がした。
「お前は存在していいんだ」と認められたような気がした。
僕は認めていたい。
自分の弱さも、自分の身勝手さも、自分の可能性も、良いところも、駄目なところだって。
エラベルを書きながら、僕は気づいた。
僕のしてきたこと、僕が言ってきたこと、それが全部誰かにとっての嘘だとしても構わない。生きていくための心の温かさはそこから生まれた。
人の機嫌をとるために笑わせた。
そんなふうに、人を見下しながら僕は自分を壊さないように、小ささを認めてしまわないように、悲劇を纏った。
本当に僕はどうしようもない人間だ。
だから自分にも嘘をついてきた。
心の中の本当の本当は、笑ってくれたことが嬉しい。それが純粋に嬉しかった。僕は僕の存在で誰かが喜んでくれることを願った。僕が発した言葉が誰かの心に届いて笑顔になったのなら、僕は自分が生きていることを認められる。
それを認めることすら出来なかった。
今、こう思う。
自分が不幸だ、と思うなら、それは自分が不幸を選んだこと。
自分は幸せだ、と思うなら、それは自分が幸せを選んだこと。
僕は選べる。
自分がどんなに醜くても、自分がどんなに才能がなくて小さな人間でも、僕が居なくなったら止まってしまう世界がある、そう思うことも選べる。
親切なフリだとしても、それを受けた人には本物になること。ある人が嘘だと思っても、ある人には本物だと感じて、選べること。