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伝える事、伝わる事

生活をしていると、誰かに何かを伝える場面が必ずあります。

気心知れた友達同士なら、目くばせだけで伝わることもあるでしょうし、お店と常連さんなんかでも、店の「ちょっと、お願い」という一言を聞いた常連らさんは、その時の店の状況から、お願いされた内容を把握できることもあるでしょう。

ですが、初対面の人が相手となると、ある程度順序立て伝えていかないと、伝わらないものです。

つい最近も、JR品川駅構内の「今日の仕事は、楽しみですか」の表示が話題になりましたが、きっと「伝える」から「伝わる」までが、スムーズに移行できなかったケースなんだと思います。

という訳で、今回は「伝える」と「伝わる」について、よしべや流の考察をしていこうと思います。


「伝える」の考察

品川駅の話題になった表示は、企業からの「伝える」でしたが、今回は分かり易いように、個人間で考察していきます。

先ず前提として「伝える」という行為は、発信者の頭にある内容(イメージ)の要点をまとめて言語化する作業だと、私は解釈してます。

要点をまとめて言語化する作業は、その人の思考やセンスが必要になり、その思考の掘り下げ度合いや、センスの洗練さに違いはあれど、基本、自分一人で完結できる作業です。

そして大半の「伝える」という行為の背景には、誰かに「伝えたい」「知って欲しい」という想いがあったりするので、

相手の状況を意識した「伝える」という行為であればあるほど、相手に優しい「伝える」になり、この作業をする上で、さっきの思考やセンスが必要になるのだと思います。

きっと接客業の方は、上司からこういった「伝える」能力を求められたりするんじゃないですかね。

ですが、伝言ゲームなんかを見ても分かる通り、いくら相手に優しい「伝える」ができたとしても、「伝わる」かどうかは別問題だったりするのが、悩ましい箇所でもあったりします。


「伝わる」の考察

「伝わる」というのは、発信者の立場からすると、「伝える」作業をした結果にあたり、「伝わる」までの工程は、大きく2つに分ける事が出来て

1、発信者による要点をまとめて言語化する作業【伝える】
2、受信者が、内容を理解、読解する作業【伝わる】

つまり、1発信者の作業、2受信者の読解作業という、2工程で推移する構図になっていて、発信者と受信者で、きれいに役割が分担できています。

なので、いくら「伝える」を、相手に優しく、センスある思考でブラッシュアップしたところで、結果「伝わる」になるとは限らないという事が分かると思います。

極論、話が伝わるか、伝わらないかは、受け手次第であるという事です。


まとめ

今回は、「伝える」「伝わる」という2つに分けて考察しましたが、分けた理由は、「伝わる」までに、自分の思考と、相手の思考の、2度の思考を介している事を知って欲しかったからです。

というのも、世の発信者の中には「伝える」=「伝わる or 伝わった」と、解釈をしている人が、少なくない事を、経験上知っているからで、

もっと言うなら、上司が部下に指示する場面なんかだと、

「伝える」=「伝わる」=「行動」=「完了」

という解釈をしている、痛い上司が、この令和の時代になっても、かなり実在している事を知っているからです。

「とっくに伝えてあるので、もう出来ていて当然ですよね」みたいな

まぁ、書店に行けば「こう話せば相手に伝わる」「相手を動かすテクニック」のような本は結構あるし、ネット上でもこの手のネタは、よく紹介されていたりするので、そういった影響を受けるのも、仕方ないのかもしれませんね。

てか、私が若い時も、この手の本って書店にはかなりあったので、時代に左右されない定番ネタなんでしょうね。きっと


ですが、私はこう断言します。

「伝える」=「伝わる」のような、
自分一人で完結する「伝わる」はこの世に存在せず、
「伝える」と「伝わる」は、そもそも別々で、
必ず相手と自分の歩み寄りがあって成立する作業
なんだと。


一流シェフは、どうしたらお客さんが、目で楽しみ、鼻で楽しみ、歯で楽しみ、耳で楽しみ、舌で楽しみ、という五感で堪能できる料理を提供できるか?

というテーマを自身に課し、料理の創作をしているかが、実際にできているかはさておき、食べに行けば、きっとどなたでも理解できると思います。

そして、そこまでこだわり抜いて作られた料理であるなら、きっと皆にとって美味しい料理である可能性が非常に高い訳ですが、

その料理の最終的な美味しさのジャッジは、実際に食べた人の感覚に委ねられ、一流シェフが一切関与する事ができない禁断のエリアでジャッジされます。

つまり一流シェフにできる事は、シェフが持てる知識や感覚を注いだベストな料理を作る事のみで、その結果、美味しいと言われたら、それはそれはラッキーな事で、素直にありがとうで、いいのだと思います。

そう考えると、品川駅の一件は、きっと「伝える」側の意図とは別の解釈がされ騒ぎになったパターンだと思いますが、

「伝える」側が違う解釈がされたと察知した時点で、既にその解釈に関与できない事を悟り、翌日の掲載中止で、謝罪したのは、実に実に人のスペックを理解した理に適った対応だったと私は思いますね。


結論

・発信者は、伝えた結果は気にせず、質の高い「伝える」に集中しましょう。

・受信者は、伝えられている内容に、関心を持って接しましょう。

・自分と相手の役割の境界線を把握して、無断で他人様のエリアに侵入しないようにしましょう。

という、感じですかね。


まぁ、個人的な感想ですが、少しでも質の高い「伝える」が、社会にもっともっと溢れてくれたら、いい社会になるような気がしますので、是非ご賛同いただけたみなさん、ご協力お願いしますね。


では今回はこの辺りで終わろうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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