生体工学の講義の感想に対するフィードバック
先日、岩手大学理工学部の生体工学の授業でお話しする機会をいただきました。佐々木誠先生は、私に技術的な話しを期待されたのではなく、指伝話の開発・販売をしていく上でのものの見方・考え方を伝えることが、技術を学ぶ学生たちに役立つヒントがあるとお考えになられたと思います。当日は、特別支援教育に関わる学生や先生たちも聴講してくださいました。
その日のうちに学生からの感想をまとめたファイルをお送りいただきました。次のようなことが書かれていました。
相手の意思を勝手に決めつけてしまうのではなく、心を通じ合わせて思っていることを理解することは非常に難しいと感じた。
勝手に相手の要望を考えるのではなく、相手に興味を持つことが一番大切だと思った。相手のことを考えることも大事だが、相手を知ろうとすることを大切にしていきたい。
これまでとは違う日常生活での技術活用の話を聞け、技術開発する上で大切なものを学べた。
65名の感想それぞれにコメントできなく申し訳ありませんが、思いを共有できたことを実感しました。嬉しかったです。
感想の中に質問があったので、それに対する回答を講義のフォローアップとしてnoteにしました。私もあらためて思い・考え・振り返る時間をいただきました。岩手大学機械科学コースの佐々木誠先生、教育学研究科の佐々木全先生、この機会をありがとうございました。
iPadを買うのが難しい場合、どのようにして指伝話のようなコミュニケーションをとればよいでしょうか?
金銭的に余裕があってiPadを購入できる人々であっても、iPadがあれば万事解決ということではないと私は思います。
つまり、大事なことは、相手と思いを共有したいと考え、相手を思いやって行動することです。しかしそれを具体的にどのようにしたらいいかわからない人が多いです。わからないから行動しない・行動できないし、思いはお互い伝わらずに誤解が生じ、差別や偏見が生まれることにもなります。
具体的に行動する方法の一つが、今回はiPadを使った指伝話アプリでした。今回の講義の感想に多くの方が、何が大切かということを考えてくれました。指伝話やiPadはそのきっかけとなりました。
これから先は指伝話やiPadがなくても、みなさんは相手を思いやって行動することができます。もうiPadや指伝話がなくても大丈夫です。もちろん、iPadや指伝話があった方がわかりやすいし便利です。「相手を思いやる心」と「iPadや指伝話」と両方あれば良いですが、絶対的に必要なものは「相手を思いやる心」だと私は思います。
ちなみに、日本には「日常生活用具の給付制度」があります。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/yogu/seikatsu.html
運用は市区町村に任されているので、支援の内容や金額は地域によって異なります。この制度を利用して指伝話を給付されている方たちもいます。
こと指伝話に関しては、難病相談支援センターや患者会で保有している指伝話の入ったiPadを会員に貸し出しをしているところもあります。制度が使えない人をサポートするために活用して欲しいと一般社団法人結ライフコミュニケーション研究所に寄付をしてくださった方たちがいて、それを原資として、就学前で制度を受けられない地域の子どもや制度運用が厳しく支援を受けられない方をサポートする取り組みもあります。
世の中はすべて公平ではないし、すべての人に最良の支援が届いている訳ではないですが、公的機関だけが福祉を考えるのではなく、心ある人々の取り組みが広がっています。
機器を通して成長を促すことはできるか? iPadを操作するだけでなく、早く処理する能力を身につけたいと思った時に、システム機械でサポートできるだろうか?
例えば、計算機を使えば計算は速く終わります。それは計算能力が向上したのか?というとそうではないかもしれませんね。あるタスクを仕上げる際に、そのうちの大半が計算処理だったとしたら、計算機を使うことでタスクは短時間で仕上がり、余った時間を他に使えるようになります。その時間で、音楽鑑賞をしたり、俳句をひねったり、歴史の勉強をしたりして、人として成長するかもしれません。
東京から鹿児島まで、歩いて行くのは時間がかかるから自動車は便利です。別な方法で電車や飛行機もあります。速度だけを考えれば飛行機が良いですが、自動車や電車の旅の良さもあります。
電車の中で食べる駅弁は最高ですし、自動車だから寄り道して楽しめる景色もあります。飛行機で早く着いて現地でゆっくりくつろげるのは魅力です。どれが良いとか悪いとかではなく、得るものもあれば失うものもあるということだと思います。
iPadの操作もいろいろです。画面を指でタップする、視線入力、ヘッドトラッキング、音声コントロールなど、いろいろな方法があります。なんであれ、ポイントはiPadを操作することではなく、iPadを使って何をするかだと思います。そう考えると、機器を通して成長を促すことがあると私は思います。
機械だけに目を奪われず、それを使う人がそこにいて、その人の思いがいろいろあるということを忘れずにいるなら、機械がより活用されるようになると思います。
コミュニケーションが簡単にとれない場面を多く経験していると思うが、苦労されたことはどんなことか?そのポイントは?
もう20年以上も前ですが、英語が片言だった時に、フランスのお店で水を頼んだのにポテトがでてきました。違うと言ったけど通じなかった。翌日その話しを地元の友人にしたら「もしかしたら差別された?それはあってはいけないことだ。」と言われました。私は、水を頼んでポテトがでてきたことは、自分の発音の悪さのネタになる面白い話しとしか思ってなかったけど、友人は私を大変心配してくれました。
ある時、地元の人たちと食事に行ったら、みんなフランス語で話しをして盛り上がってました。大抵の人は英語も話せます。私にはフランス語はちんぷんかんぷん。英語でも似たようなものでしたが。その時に一人の人が「いま◯◯の話しをしてる」「△△の話しをしてみんな笑っているが、フランス語で言うから面白いネタなので訳せなくてごめんね」と易しい英語で話してくれました。
別な日に、英語があまり得意ではない人たちのグループから夕食に誘われました。ムール貝を食べに連れていってくれ、ほぼフランス語での会話でしたが一生懸命わかりやすく何度も繰り返して話しかけてくれました。私をもてなしてくれているのが伝わってきて嬉しかったです。
他の日に、夕食を食べに来いと誘われ、その人のアパートにでかけていったら、到着して一杯飲んだ後はずっと日本人を蔑む言葉の羅列。最初何が起きているかわからず、自分の考えを聞かれていると思って一生懸命話しをしましたがそうではなかった。そうとうバカにされ続けました。さすがの私も気づき帰りました。道に迷って夜中に2時間くらい彷徨い、やっとホテルに戻ったけど眠れなかった。彼の真意はいまもわかりません。
ホテルの朝食は、コーヒーといろんな種類のパンが食べれるシンプルなものでしたが、給仕係のおばちゃんが、片言の英語で「お前は大変だろう」「心配せずもっと食べなさい」とパンをたくさんくれました。どう見えたのかな?とても優しかったです。
気をつけていることは「自分が理解できることばかりではない」「物事には背景がある」ということを忘れないことです。説明されても理解・納得できる訳ではないですし、同じ一言であっても言った人によって意味が違います。それを全部説明できるルールはないです。だから、決めつけずに考えることが大事です。
伝えたいこともあるし、相手の言っていることも理解したい。でも言葉が自由にならないのはとても辛い。そしてそれが誤解や偏見を生むことになります。
声がだせないから指伝話で話せばいい、体が動かないからスイッチで操作すればいい、「それでいいじゃないか」ということではないのです。問題は機械だけを提供して「それでいいじゃないか」と言ってしまう考えだと私は思います。
大事なことは機械ではなく機会です。そして、機械や機会だけ提供するのではなく、その先のことを、決めつけずに考えることが大事だと思います。
学生のみなさんへ
生体工学の講義に、機械工学と教育学のみなさんが一緒に参加し思いを共有できたことは、それぞれ専門分野は違えども、人々のより良い生活を求めて知恵を絞っている点は同じだ、ということだと思います。
講義で伝え忘れたことを最後に書きます。「技術を使って良くしよう」と思うのではなく「より良くしよう」と思うのがより良いと思います。「良くしよう」の背景には「いまはだめだ」という指摘が感じられますが、「より良く」は現状を否定していません。悪いところを指摘して改良する技術から始めるのではなく、目的に向かって進む力をサポートする技術から考え始めると、たくさんの新しい発見があります。いままでダメだと思っていたことが、実は一番意味のあることだったりします。
諦めず・決めつけず、そして、いつも笑顔と感謝を忘れず、研究を続けてください。そして、どうぞ専門家になっても、途中に「ば」が入らないようにしてくださいね。ありがとうございました。