好きなものがわからないわけではないけど
「なんか好き」なものが多すぎる。何でもかんでも、雰囲気でなんとなく好きになってしまって、説明ができない。このブランドの服が好きとか、このアーティストの曲が好きとか、あることはあるけど、毎回好きなものがそれに当てはまるわけではない。近所の古くて小さいリサイクルショップの店先に並んだ誰が作ったのかわからない木の置物に一目惚れして買ったりする。みんなそうなのだろうか。自分の中では好き嫌いがわかるのに、人にわかるように説明できない。好きなものについて聞かれると「こういうもの」とまとめられなくて、私は途端にわからなくなる。
「オタク」と呼ばれる人たちはすごい。好きなものを突き詰めて、その歴史的背景とか、他分野との関わりとか、いろんな知識を持っていて人に説明できる。自分がいかに好きなものに対して熱量を持っているか、人にわかるように説明できる。すごいな〜、私は全然そうなれない。
「好きは理屈じゃない」とか言うけど、みんな好きを説明できている気がする。説明されると、好きにはなれなくても理解はできる。だから好きなものを説明できる人が羨ましい。私も自分の好きなものを理解されたいけど、なんか全然説明できない。
好きなものをとことん好きな人に憧れる。一つのものをちゃんと(と言う表現がいいのかは謎だけど)丸ごと好きな人。なんか安心する、筋が通ってる感じがするというか。一途な人って好印象だし。何よりわかりやすい。
私の好きなものと言ったら、とぼけた顔の置物、懐かしさを感じるもの、絶妙な配色、子供が好きそうなもの、素敵な味の食べ物、ご機嫌な曲、突拍子もない出来事。これといったジャンルがない。具体的に説明ができない。なんとなく好きなのである。社会の基準と私の中の基準が異なっているのだろうか。みんながたまたまわかりやすくものを好きになっているのだろうか。人間は不平等である。
単純に飽きっぽいのかもしれないし、でも責任感はそれなりにあるし、不幸なわけでもないのだけれど、コレ、と説明できる「好き」がある人はやっぱ強いよなあと思ってしまう。私は好きなものが散らかっていて、軸ぶれぶれ。どうしたものかしら。
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