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便利なものに頼りすぎることで失うもの
本日はバレンタインデーということで、ココアパウンドケーキ(のようなもの)を焼きましたよ。
お料理は対して得意でもなし、そんなハイカラなもの年に何回も作らないし。
というわけで、スマホで検索。
「米粉 ケーキ 簡単」
検索結果から自分にも出来そうなものを見つけて作る。便利だなぁと思う。
料理ってひと昔前は、母親や祖母、義母など、身近な女性から教わるものだったと思う。
(それだけに嫁姑関係も今よりも大変だったかもしれないことは、ここでは一旦置いておく)
教わったものをメモしたり、直々に教わりながら叱られたり…
スマホで検索して作るのももちろんいいんだけれど、そういう身近な人とのコミュニケーションが
良くも悪くも必要なくなったという見方をも出来たりして。
それが寂しいな、とも思うし、本当に教えてほしい人から教えてもらえる、と捉えることもできたりもするし(でも直接教わるにはお金が必要だったり)
そんなことを便利道具であるオーブンレンジで
パウンドケーキ風たべものを焼きながら考える私。
で、ここからは身体の話。
便利なものを使うことで身体を使わなくてもよくなり「体力が落ちている、免疫力が落ちている」というのは元より、自分の身体がどこにあるか認識できない現象も増えてやしないか?と私は危惧している。
我が家は有り難いことに浴室にはシャワーが設置されている。いや、今はほとんどの家庭がそうだろう。
ただひと昔前はどうだったか。手桶でお湯をすくって頭や身体を流していなかったか?
片手で手桶を持ち、もう片方の手で流したいパーツに触れる。
湯圧は自分の手首の傾け具合で変えるし、
目視できない背面、後頭部も
手桶をどのように持ってどこから流すのか
自分でコントロールしていた。
シャワーだったら?
お湯をすくわないし(だからお湯の入った重たい手桶を片手で持つ必要もない)
水圧はレバーを操作すればできる(ボタンでするものもあるのかしら?)
シャワーヘッドをホルダーに固定してしまえば
お湯が放出されている下に自分が入り込めばいい。
細かな力加減などいらない。
そんな些細なこと気にしなくても…
という考えも頭をよぎるが、
身体を洗うって毎日することだし
そういう日々のなんてことない生活の中に
本当に大切なことがあると思うのだ。
毎日の生活の中で「しない」のであれば
その身体機能は衰退するだろうことは
火を見るより明らかなのではないだろうか。
ちなみに自分は基本的に手桶を使うようにしているし、子どもたちにも手桶を使わせている。(もちろんシャワーを使うこともある)
今回は便利なものに頼りすぎることで失う身体機能について、シャワーをあげて書いてみた。
大袈裟だなぁ、と思われただろうか?
うんうん、他にもこんなことあるよね〜、と他の例をお持ちだろうか?
もしよろしければコメント欄にて教えていただければ幸いです。
本日も最後までお読みくださりありがとうございました。
ハッピーバレンタイン♡