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スポーツ現場に立ちたいトレーナー必読!スポーツ現場10年のリアルな現状とキャリアの切り拓き方
どんな仕事でもリスクはある。
フリーランスはそのリスクの確率が、他と比べて少し高いだけ。
スポーツトレーナー「チャンスの掴み方」と「上手な転び方」
私は1年目の給料は10万円だった。
そのうえで、フルタイム契約期間は1年間。
厳しい環境に挑戦できたから今の自分がある、と思っている。
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新卒の学生にはぜひチャレンジをしてほしい。
高リスクに挑戦できるのは若いうちの特権だからだ。
歳を重ねてくると、大波に立ち向かうようなハイリスクの挑戦は難しくなる。
今何を重要として捉えるのか?
勤務地?
給料?
契約形態?
安定?
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本気でトレーナー目指すなら目の前に現れた、
一見弱々しく小さな波に乗ろう。
必ず思いがけない「新しくて大きな波」に出会えるはずだから。
スポーツ現場に向かう人の「予防接種」のような情報に
Twitterで投稿してきて、累計1.4万人以上の方に見ていただいた
「スポーツトレーナーの実際シリーズ」。
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このnoteでは、それを大幅に加筆修正した、総集編としてお送りします。
私が実際に経験した紆余曲折。
誰にでも当てはまるものではないからこそ、若手トレーナーやこれからトレーナーを目指す学生などに情報共有をすることで「予防接種」のような役割を果たしたい。
そう考えたからです。
前半の私のがむしゃらな姿勢は「チャンスの掴み方」として、一つのモデルケースになると思います。
そして後半の、私がある種「巻き込まれた」、トラブルに関しては、みなさんがわざわざ自分で体験しなくてもいい、「模擬失敗」として参考にしてもらいたい。
生々しいエピソードも含んでいるため、部分的に有料とさせていただきましたが、そんな思いで公表しています。「上手な転び方」を学びたい!という方には、ぜひ読み進めてもらいたいです。
キャリアのスタートとその時期の生活
私は整骨院などの施術院で働くことは考えていなかった。就活する中でスポーツジム併設の整骨院など見学に行ったが自分の中で何か違うと思っていたから。勤務地・スポーツ種目は特に希望せずスポーツ現場で働くことだけを考えて就活をしていた。
専門学校卒業間近の2月末、学校の先生経由で大学ラグビーの「S&Cコーチ」を探しているとの話をいただく。本当はメディカルとして活動したいと思っていたが、「スポーツ現場に出られるチャンスは中々ない!」と思いすぐに履歴書などを準備した。
先方から連絡があり3月上旬に大学がある埼玉県まで向かった。そこでは自分が求めていたスポーツ現場にフルタイムスタッフとして活動できるということであった。
しかし、契約条件はまったく良いものではなかった。
毎朝4:15に起きて、5:00に出勤。
早朝グランド練習、授業の空きコマでのウエイトトレーニング、治療など遅くなる時は19:00までセッションがあることも。
14時間/日、5-6日/週。
これだけ働いても給料はアルバイト以下であった。
大学ラグビー部での契約は1年間の単年契約でS&Cコーチとして契約。
・1年目はフルタイム10万円
正直生活ができるようなものではなかった。学生時代の貯金を切り崩し、親からの家賃の援助などもしてもらっていた。このままだと生活が厳しいと思い当時は「リラクゼーションマッサージ店」での業務を行なっていた。練習後などに3時間程度の短い時間であり、歩合制ということもありこちらで稼ぐことも中々厳しかった。
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・2年目はフルタイム20万円
ATCのトレーナーの方の助言などもあり20万円で契約してもらうことができ、少し余裕ができた。そして原付を購入。
しかし、税金などの支払いや専門学校の奨学金などの支払いもありギリギリの生活。
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・3年目はパートタイムで10万円
私は以前からメディカルとして活動していきたいとチームの代表者には伝えており、3年目はアシスタントトレーナーとしてATCの方の下で活動した。しかし、予算等の問題で給料はまた10万円に逆戻り。朝5:00から12:00までのパートタイム契約に変更してもらった。午後からはタイミングよく別の埼玉のラグビー部でパートタイムのトレーナーを探しているとのことでそちらとの掛け持ちで活動を始めた。そちらは1日8000円で週に数回。しかし、車でないと移動できない距離であったため大学から給料前借りし30万円の車を購入して活動をした。
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3年目は自分にとって変革期でした。
2チームの掛け持ちになり、今までの作業が単純に2倍になった。
午後からは自宅から離れた場所での活動となり移動時間も往復2時間ぐらいかかった。
・3年目の1日のスケジュール
4:15起床
5:00出勤/テーピングスタート
6:00リハビリ/グランドでの練習
9:00-12:00授業間にリハビリ
14:00移動
15:30テーピング
16:30リハビリ/練習
19:00終了
20:00帰宅
21:00翌日準備
23:00就寝
急転直下の環境変化
そして…3年目のシーズンが終了し契約更改。
先ほどもお伝えしているが、フリーランスは基本単年契約。
メインで契約している3年目の大学の監督と色々話をした。この時にはヘッドトレーナーの方の契約終了が決定しており、
監督から
「来季はフルタイムでヘッドトレーナーとしてよろしく」という形で話をもらった。監督と今のチームへの想いや今後のことなど食事を交えながら話をさせてもらった。有意義に話を進め、具体的に月25万円でのフルタイムという条件提示もあった。
当時の私にとっては好条件で、
即答で「ぜひ、よろしくお願い致します!」とお伝えした。
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翌朝の練習後、監督からの呼び出しがあった。何かわからないが何か嫌な予感がした。恐る恐る監督室に入り、一方的に話をされたことは今でも鮮明に覚えている。
監督から「色々話をして考えた結果12月末で契約終了で」と言われ、12時間も経たないままに話が変わり、初めての「クビ」を宣告されたのであった。
契約終了の理由は「ヘッドトレーナーの考え方をお前も少なからず受けていて引き継がれたら困る」と言われたのであった。
この年まで監督とヘッドトレーナーは密に相談し合っていた。しかしどこかのタイミングから歯車が狂いそのような形になっていき、私もその波に飲まれクビとなった。
ヘッドトレーナーとも話をして「流石によしさんはチームに残ると思っていたよ」と言われ、2人して半日で契約が変わったことを驚いていた。この話が出たのは12月初旬のこと。
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当時の私はまだ25歳。まだプロトレーナーとして3年目と若い時に言われた「契約終了」という言葉。心にすごく響き今後どのように生活をしていけばいいのかと思いながらも、次の活動できる場を求めてすぐに動き始めた。
就活と同時にまずは生活できる体制を作らないといけないと思い、タウンワークで見つけたスポーツショップでのアルバイトを始めた。
たまに違う仕事をすると結構面白く息抜きにもなった。朝はパートの奥さん方と仕事をし、夕方は若い大学生。いろいろな刺激を受けながらアルバイト先では重宝されていた。
それと同時並行で次なる活動拠点は探していた。
時は戻り、「クビ」を宣告された日、元々この大学の話を下さった方にすぐに相談。
「どこでもいけますか?」と聞かれた私は
「日本語が通じればどこでもいきます!」と即答。
すると運良く、1チームアシスタントトレーナーを探しているチームがあった。それは東北の岩手県にある社会人ラグビーチーム
・新たなチームで迎える社会人4年目
3月から新しいチームとのメディカルとしての契約がスタート。不安とワクワクが入り混じる。
今回は大学生ではなく、初めての社会人。自分より年上や年下まで40数名の選手が所属する。
チーム合流後は早朝の朝練から。
社員選手が出勤前に練習をしていたので朝5時からウエイトやランニング。
毎朝4時に出勤。
初めの1ヶ月のスケジュール
3:15 起床
4:00 出勤
5:00 BKセッション
7:00 プロ選手セッション
9:00 ケア
11:00 一度帰宅
15:00 出勤
17:00 テーピング
18:30チームセッション
20:30 ケア
22:30 帰宅
初めの1ヶ月は環境に慣れていないので気疲れ、睡眠不足で死にそうだった。笑
大学生の時と比べ、社会人ではプロ選手もいれば、会社員として働きながら選手をしている人も多い。
移籍1年目では年齢も19歳から45歳までのベテラン選手が居た。
年齢により復帰までにかかる日数も違ったり、自重トレーニングでもレップ数が多すぎたりするとまた違うところが痛くなったり、いろいろなことに悩まされた。
アキレス腱炎だと思われていたのは実は部分断裂していたりと悩む日々…。
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このチームに移籍してきて3シーズン目にトップリーグカップ戦が行われた。
今まで戦ったことのないトップリーグのチーム(現在のリーグワンDiv1のチーム)などと戦う機会がありレベルの違いを感じさせられた。
メディカルもトップレベルとの試合になると試合での条件が変わり、HIA(*1)などがあり私がPHICIS Level2(*2) の資格を取得し、カップ戦では初めて公式戦でSAとしてフィールドで活動をした。
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(*1) HIA(ヘッドインジャリーアセスメント):脳振盪の疑いのある選手を一時退出させ、HIAの専門的な講習を受けた担当者(マッチドクター、チームドクター)により脳振盪を確認することが可能になります。退出選手の評価に充てる時間は12分間で、その間は一時交替の選手が出場可能です。
(*2)PHICIS Level2(PRE-HOSPITAL IMMEDIATE CARE IN SPORTS):
Basic Life Support(心肺蘇生法)・ACLSの内容、疾病・外傷発生時の救急対応の基礎の国際的資格。
大学、社会人ラグビーと計6年目のシーズンが終わろうとしていた頃、私は次のチャレンジをしようと思い、裏で色々と動いていた。それは別競技でのトレーナー活動をして、新しい知識を入れたいと思ったからだ。
SNSで知り合いの方がトレーナー求人を出していたので連絡をしてみた。
シーズン中の11月頃から次の職場候補とコンタクトを取り出し、面接など実施採用が決まった。
チームはB3リーグのバスケットボールチームとの契約だった。関東圏に出ることができ、新しい種目、また都会での勉強会やセミナーなどにも参加することができると思っての東京での職探しだった。
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しかし、このときの経験が、今までの自分のスポーツ現場でのキャリアで最も大きなトラブルに。
当時の自分は、そんな展開は全く予想していなかったのだけれど…
東京での別競技スポーツと契約したものの
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