歯列矯正がしたい

 私の少なくはないコンプレックスのうちに”歯並びが悪い”というのがある。… …というのは表向きといいますか。正直に言うと『横顔』がコンプレックスでして。整形をするほど気にしてないし、そもそもそんな勇気もないし。とはいえ横から写真を撮られたり見られるのはちょっと億劫で…ゴニョゴニョ。
 というわけで、歯を綺麗に並べることでそれが少しでも”綺麗”になったら嬉しいな〜の末にたどり着いた手段が歯列矯正だったのだ(そして歯列矯正の画像を見ているうちに歯並びも気になりだすというなんとも〇〇な)。それで今ちょこちょこと資金を貯めておるところであります。

 コンプレックスというのはなんとも厄介で、インカムの少ない人間に貯金をさせてしまうほどのパワーを持つことは勿論。何より人から言わせれば「別に気にする必要ないよ」なことも「当事者じゃないからそう言えるんだ!…いやまあ分かってる、私のことなんか別に誰も見ていない。だから気にせず… …やっぱり気になる。」みたいな劣等感の堂々巡りが当たり前のように起こることだろう。他人のコンプレックスに対して「別に気にする必要ないのに」と自分もなんの気無しに思ってしまうからこそど壺にはまる。それでも今の自分ではない自分に想いを馳せて、どうにかならないものかとあがいては、なかなか”正解”には近づけない現実にまた心を蝕まれる。

 自分が横顔にコンプレックスを持ち始めたのは高校生の頃だったと思う。
 「鼻の先から顎の先に人差し指を持っていって、唇が指に付かなければEラインがある綺麗な横顔」というのが会話の話題に上がって、試してみるとあろうことか指が口にめり込んだ。
 そのときは特になんとも思わなかった(その場では笑いにしたと思う)が、次第に意識して他人の横顔を見るようになってから自分の横顔は"綺麗ではない"という説得力を強めていった。恐らく歯並びが気になりだしたのもある夜中に歯列矯正の画像を見漁ったあたりからだ。それまで全然気にならなかったのにな。

 人は他者との比較から自分の中に強いこだわりや正解を作って、そうではない自分は”不正解”としてしまい、無意識下にあったのに意識の元まで上がってきては強い否定感情に苛まれてしまうことがある。この現象こそがコンプレックスと呼ばれるものだと考える。
 この定義からいけば比較をやめればコンプレックスに苦しまずに済む。とはいえ「よし、人と比較しない!!」と心に決めたその瞬間から比較を辞めることが出来る人間は相当稀ではなかろうか。
 極論、無人島に生まれ育った人がいればコンプレックスは現れないのだろう。その名の通り無人の島で比較する他人すらいないんだから理屈から言えば現れなそうだが、まあ極論。現実的ではないわな。
 「個性だと思ってポジティブに捉えたらええわ。そもそも心がちっせえから細かいことでウジウジと悩むんやわ、みみっちい。世界にはお前より苦労してるやつがおんねん。年取りゃそんなもん次第に受け入れて(諦めて)いくんだから関係ねえよ…」とも言ったり。

 はあ…ほんとめんどくせえなと思いながら、こういうときはなるだけ悩むのではなく考えるようにシフトしたい。今は他人にかける言葉を変える意識でコンプレックスについて考えるようにしている。万人受けするようなマジックワードは生まれなくても自分自身の言葉や思想、他人の発言からも自身を見つめ直し、他人のコンプレックスに寄り添う態度と言葉を生みだす。最後には回り回ってそれを自分自身に処方箋として出してやる。(これが目的)
 つまりここで言う処方箋とは思考の過程と結果である。んで、本当はこのnoteでその『処方箋』を処方するに至るまでとことんまで書きたかった!!(願望⇨どうも勉強不足でそこにはまだまだ至らなそうです。)

 この文章を世に公開したことで、横顔やら歯並びやらにコンプレックスを抱かせてしまう人がいるかも知れない。ごめんよ。
 とりあえず歯列矯正のためのお金を貯めつつ、そうなってしまった人たちのための処方箋の開発にも努めていこうと思う今日この頃であります。
 私のコンプレックスについては私らだけの秘密ね。
 日本の歯列矯正代は高すぎる!!!

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