2021年 日本居住福祉学会 大会

2021年9月18日
2021年度日本居住福祉学会大会の開催に当たり。
「転換期の二十年を振り返って 居住福祉は認識されたか」

日本居住福祉学会 会長
中京大学総合政策学部 教授
岡本 祥浩

 2021年は、日本居住福祉学会が誕生してから20年が過ぎる年に当たります。この20年間を振り返り、居住福祉がどのように意識されるようになってきたのか、意義を持つようになったのかを考えたいと思います。そしてそのことを通して、「居住福祉学」の展開を構想したいと思います。結果を先取りして申し上げますなら「人にふさわしい居住」を社会として考えられるようになっただろうか、という問いに行きつきます。いみじくも昨年からの新型コロナウイルス感染拡大防止を通して、いわゆる三密の回避を通して居住福祉の基盤が顔を覗かせてきたように思います。
 では、本題に入りまして、この20年間の居住福祉を巡る状況の変化を振り返ります。
 20年間の変化を災害、経済や雇用、人口構成の三部門に分けて考えたいと思います。
 近年、激甚災害が増えてきたと言われるようになってきました。1995年の阪神淡路大震災がその幕開けだと言われています。日本居住福祉学会もそれをきっかけに設立されました。大震災が、それまで顕在化しなかった格差や課題を露わにしたからです。特に阪神淡路大震災は、早朝に発生したこともあり5000人以上が住宅の倒壊で亡くなりました。その後、避難所で、仮設住宅で、復興住宅でと、復旧・復興の過程に沿って多くの被災者が亡くなりました。更には、居住から20年後に「みなし復興住宅」からの強制退去問題も起こりました。そこには一人ひとりの生活や居住に対する配慮がありませんでした。その後2000年の鳥取県西部地震、2001年の芸予地震、2003年の宮城県北部地震や十勝沖地震と次々に地震が起こりました。2004年の新潟県中越地震では山古志村の全村避難がありました。2011年の東北地方太平洋沖地震では大津波が発生しました。地震によって、地域によって災害は多様な姿を見せ、それぞれで新たな課題をもたらし、それらへの対応を我々に迫ってきました。
 災害は地震に限らず、火山の噴火、豪雨や洪水、台風、豪雪、猛暑、そして現在そのただなかに居ますがコロナ禍と次々に、そして時には複合して起こっています。
 そして我々は直面する課題の克服に努力しています。そこで露わになってきたことが経験知を継承できていないという事実です。例えば、鳥取県中部地震で実施された生活再建の支援がなかなか広がりません。中越地震では阪神淡路大震災の経験から地域別避難が行われたと言われました。実際は、被災者住民からの声に故長島村長が素直に対応した結果でした。避難所や仮設住宅での関連死の問題も熊本地震でクローズアップしてきました。このころから過去の災害経験を引き継げていないことが問題になってきました。本年7月に発生しました熱海市伊豆山地区の土砂災害では急傾斜地という被災地の地形問題からホテル避難が実施されました。これまでも体育館や講堂などでの避難所の劣悪な環境が指摘され、公民館、福祉施設、旅館やホテル、客船など本来人が過ごすための施設への避難が提唱されてきました。また、国際的な避難所に関する「スフィア基準」が定められていることなども支援者には周知でした。それがコロナ禍や地形などの条件を前にして一気に人にふさわしい環境へと進むことになりました。
 災害と言えば、住宅の喪失がイメージされるようになりましたが、避難しなくてもよい、大規模修繕しなくてもよい、しかし日常生活には不都合が生じる程度の被災状態も起こります。日本の居住の実現や維持の仕組みは「就労の成果の活用」を第一にしています。ですから、大規模な被災がない限り支援がありません。その結果、大阪北部地震のように不都合な状態で暮らし続けている人々が少なくありません。持ち家のみならず、借家でも大家に補修するだけの経済力がなければ、不安な生活を強いられています。
 次に経済や雇用状態の変化を確認しましょう。一九九〇年ごろから経済のグローバル化の速度が速まります。東西冷戦が終了し、資本も労働者も地球規模で自由に移動することができるようになりました。資本は企業活動にふさわしい社会環境を求めて、労働者はより高い賃金を求めて移動できるようになりました。日本政府は「日本を世界で最も企業が活動しやすい国にする」ことを目標にしました。その結果は、企業の内部留保の増大に反映しました。半面、世帯の平均所得は一九九四年頃から一九九八年頃をピークに緩やかに減少していきました。人口の高齢化がその要因として指摘されましたが、高齢者以外の世帯も同様な傾向を示しています。その大きな要因は、非正規雇用者の増大にあるだろうと思います。阪神淡路大震災頃の非正規雇用者の比率は20%程度でしたが、どんどん上昇し、2018年頃にはおよそ40%程度に至ります。政府は労働者が多様な働き方を選択した結果だとしていますが、その背景には労働者派遣法の改正があります。高度で特殊な技能を持つ労働者が、その技能を必要とする企業を渡り歩く場合にはそれが当てはまるでしょう。しかしながら特定の職業技能ではなく、派遣労働の範囲が一般化してしまうと、立場は逆転してしまいます。企業が需要に合わせて生産量を決め、それに合わせて派遣労働者の雇用人数を決めるようになります。そして2008年から2009年のリーマンショックのようなことが起これば、大量の派遣労働者が仕事を失います。日本のように低所得者や無収入の人々の居住の保障が不十分な状態であれば、企業が求人のために居所を提供することが容易になってしまいます。その結果、住まいを獲得・維持できない労働者は住まいと仕事がセットとなった仕事を選びやすくなります。仕事と住まいを一度に失った労働者は、年越し派遣村として顕在化することになりました。また残念なことに労働力不足対策として雇用されていた外国人労働者は出身国への帰国を余儀なくされました。非正規雇用者の問題は、賃金の低さ、賃金上昇の少なさ、社会保険の未加入などが指摘されますが、居住問題の側面から考えても大きな課題だと言わざるを得ません。
 非正規労働の問題がどんどん大きくなっているのが、現在のコロナ禍であることは多くの識者が述べている通りです。非正規労働者が40%と言いましたが、その多くは女性です。また、女性労働の需要が多い業種は、飲食、卸売り・小売り、観光業や催事など対人サービスの多い業種です。医療や福祉の分野もそれに当てはまります。ところがこれらの業界はことごとく新型コロナウイルス蔓延防止対策のために営業時間を制限されたり休業せざるを得なくなりました。経営者は、需要の減少から従業員を減らさざるを得なくなります。その判断の際に正規雇用と非正規雇用を比べ、非正規雇用者を解雇せざるを得なくなります。リーマンショックでは工場、製造業への影響が明瞭に現れましたが、コロナ禍では観光業、飲食・小売業への影響が大きくなります。製造業では同じ時間に同じ場所で働く労働者が同時に仕事と住まいを失うことが起こるわけですが、観光業、飲食・サービス業では労働者はそれぞれの持ち場でそれぞれの時間で働いているのでまとまりがありません。個別に徐々に仕事を失っていきます。居所もそれぞれです。さらに顕在化しないのは、女性が圧倒的に多いことも影響しています。全国で一斉に仕事を失うのではなく、コロナ感染症の広がりに合わせて経営が困難になり、それに合わせて失業者が増えていきます。結果として仕事を失った労働者はリーマンショックをしのいでいるのですが、その困難さが顕在化しません。少なくない人数として子どもを抱えたシングルマザーが含まれます。彼女たちは、子どもの生活を守ることを優先します。社会に訴えるより、まず何とか子どもの生活を守ろうとします。ますます、困窮に直面する人々の連携が困難になります。女性が安心できる居所を得られないことだけで人権が侵されているに値するだろうと思います。
 続いて、不安定な社会経済状態で暮らす我々自身の問題について考えます。いわゆる人口構造の大きな変化が起こっています。衝撃的な事実はまず、第二次世界大戦末期を除いて明治以降一貫して増加してきた人口が減少し始めたということです。国勢調査では2010年の1億2800万人がピークになります。日本のように周囲を海で囲まれていれば人口の移動は限られます。人口の減少は出生数の減少と死亡数の増加の総和になります。人口減少は、きわめて長く続いた少子化の結果ということができます。人口の維持のためには合計特殊出生率2.1が必要だと言われていますが、現在は1.4程度です。その結果長期的に人口が減少します。政府は少子化対策として、産休・育休、保育園の開設、育児手当など子どもが生まれた後の対策を整備しています。残念ながら新婚世帯や子育て世帯が安心して暮らせる基盤の整備は手つかずの状態です。
 少子高齢化の象徴は東京への一極集中です。東京には多くの高等教育機関があり、多くの企業の本社機能が集積しています。高等教育を受けるために東京に集まり、更に仕事を求めて集まります。その集中圧力が東京の地価を上昇させ、居住費を上昇させています。結婚し、妊娠・出産に至り、若者一人の稼ぎでその居住費用を賄うのは至難です。だから東京の合計特殊出生率は低いのです。誰もが安心して暮らせる条件を整備することが少子化予防最大の対策なのですが、いまだに実施されていません。
 高齢化は少子化と連動しています。長寿化は人類共通の夢です。生まれた者が天寿を全うすることが夢でした。日本では長寿化をかなりの程度まで達成しましたが、その状態が課題になっています。健康で介護を必要とせず暮らせるのか、あるいは必要性に合わせて介護を受けられるのかということです。その状態の指標の一つとして年齢構成があります。65歳以上の人口比率を高齢化指標として使っていますが、国勢調査を始めた1920年では5.3%でした。高齢化率が7%を超えたのが、1970年の7.1%です。ここから高齢化社会が始まりました。1990年には12.1%になり、14%を超えたのが一九九五の14.6%です。ここから高齢社会となり2010年には23.0%と 21パーセントを超え、超高齢社会に突入します。2015年には26.6%で、現在29%近くになっています。
2007年に群馬県で「たまゆら」静養ホームの火災事件がありました。被害者の多くが東京で生活保護を受給していることが明らかになりました。東京都内で生活保護受給者が介護を受けて暮らせないという事実が明らかになったのです。2025年にはすべてのベビーブーム世代が後期高齢者になります。おそらく要介護高齢者も増大し、ピークを迎えることになります。現在の態勢で対応できるのだろうかという危惧があります。
 世帯が問題に対応する能力の程度は大雑把に、世帯規模に代表させることができるでしょう。1990年頃の平均世帯規模は三人程度でした。年々、世帯規模は縮小していき、現在では2.39人になりました。中でも単身世帯の比率が大きく、1990年頃の20%程度から2019年には28.8%に上昇しました。夫婦世帯が24.5%を占めていますので、単身世帯と夫婦世帯で過半数を占めるようになっています。更に問題は「夫婦と未婚の子のみの世帯」と「三世代世帯」の減少とそれ以外の世帯の増加です。「夫婦と未婚の子のみの世帯」は、1986年の41.4%から2019年の28.4%にまで減少し、「三世代世帯」は、1986年の15.3%から2019年の5.1%に減少しました。こうした数字から何かが生じた場合に世帯内で対応できる能力が急速に低下したことが分かるだろうと思います。つまり社会的に居住を支える必要性が増したことが分かります。そのことで何が問題かと考えますと、借家を契約しようとした際に断られる世帯が増えたということです。
 高齢になりますと、住宅の維持管理が困難になります。実は、高齢者が賃貸住宅契約を結ぶ必要性が増えてきています。定年退職前に住宅ローンを完済できなかった。マンションの建て替えで賃貸住宅を探す必要ができた。道路拡幅や都市再開発で住宅が解体される。居住していた賃貸住宅が老朽化のために建替えられる、など様々な理由で賃貸住宅を探す必要が生まれるわけです。居住者は高齢化するのですが、住んでいる建物も老朽化するのです。そこで新たな住まいを見つける必要性に迫られます。その際に大家や不動産仲介業者が逡巡する世帯が増えてきているのです。特に賃貸住宅を探すことを困難にするのが高齢者です。多くの疾病を抱えており、特定の診療所との地理関係を重視せざるを得ません。とりわけ単身高齢者の場合、孤独死が警戒されます。事故物件となることを大家は問題視します。
 人口構造の変化として外国人居住者の問題も忘れてはなりません。「労働力不足を解消したい」という思いがありながらも「移民を受け入れない」という複雑な思いが日本社会にはあります。社会全体として外国籍の人々を受け入れる体制が整っていません。外国籍の人々は賃貸住宅を探すのが一般的ですが、借家住宅市場から外国人ということだけで排除されています。住めるところは限られます。そこで外国籍の人々が集住する地区が日本各地に形成されていきます。そうすると、地域の日本社会から排除された状態が形成されてしまいます。愛知県では、公営住宅やUR住宅などの公的住宅に外国人が集住しています。60%から70%の極端な外国籍の人々の集住団地がいくつも形成されています。公的住宅では日本人居住者の高齢化、単身化が進んでいますが、外国籍人口が集住している住宅団地も同じ状態です。ただ外国籍人口は子育て世帯を中心としていますから、日本人が構成できていない年齢階層をカバーする形で団地社会を形成しています。地域社会の運営を日本人と外国籍の人々の協同で実施しています。
ここで注意しなければならないのは一口に外国籍の人と言っても国籍や使用する言葉が多様だということです。愛知県の場合、リーマンショックまではブラジルや中南米出身者が中心でしたが、リーマンショックで帰国を要請しましたので、それ以降はベトナム、フィリピンなど東南アジアの人々が多くなっています。つまり、多様な外国籍の人々が日本の住宅団地で、日本社会で安心して暮らしていける仕組みを作らなければいけない状態になっています。
しかし、公的住宅団地の外では研修生などとして入国した少なくない人々が、住宅以外の建物に住んでいいます。更に会社の寮として六畳の部屋に九人も押し込まれたり、監視されたり、過大な居住費を天引きされたりしています。研修生の逃走が問題視されていますが、こうした人権が守られない居住実態もその一因であろうと推察されます。
 一九六一年にILOが「労働者住宅勧告」を提示しました。事業者が従業員に住宅を提供すると、就労以外の生活も管理することになるから好ましくなく、直ちにやめた方がよいと勧告しました。それを実現するためには、労働者が適切な住宅を無理なく手に入れられる環境を作り上げる住宅政策を展開しなければならないとしました。現在の日本では、人にふさわしい住宅を手に入れることさえ困難な状況です。こうした状況が、外国籍の人々の非人道的な居住状態を容認しています。人としてふさわしい居住の実現が基本的な人権の基盤であり、その一部であるという認識が日本社会にはあまりにも欠落しています。
 さて、日本居住福祉学会が設立されてからの二十年を振り返りましたが、社会形成の基本が「就労の成果による居住の実現」であることが分かります。「居住を実現するためには、就労しなければならない」というのは一見妥当な考え方のように思えますが、これまで振り返ってきたようにそこには大きなほころびがあります。なんとなれば就学中までの人々は働けません。定年退職後の人も働きません。病気の時、怪我した時、被災後も働けません。このことを無視してはならないのです。
 「居住のために働くのではなく、居住がセーフティネット、居住そのものが人々の暮らしを支えている」という認識に立たなければなりません。そうでなければ、経済一辺倒の考え方からも、コロナ禍で問われている「三密」からも逃れられません。
 そこで日本居住福祉学会では、これまで気が付かなかった居住を支えている資源や仕組みを「居住福祉資源」と称して、顕彰してきました。そこには経済的な価値に換算できないが、居住を支えている様々な資源や仕組みが見出されました。例えば、全国入り浜権運動は、入浜慣行の収集から海岸線の空間価値を浮かび上がらせました。無批判に海岸線を産業用地に転換する問題に気付かせてくれました。「新潟県復興基金」は鎮守の森の有する地域コミュニティ形成機能に気づかせてくれました。熊本地震でも文化財に指定されていない地域の寺社は長らく放置され、地域社会の復興に時間を要することになっていました。釜ヶ崎で実現したサポーティブハウスは、安心できる居住がどれだけ人々の生活を支え、力づけているのかを明らかにしました。
 そして、2013年以降は「居住福祉賞」として「居住福祉資源」を維持、創造している活動をも顕彰しています。
 コロナ禍の現在、求められているのは、経済効率や成果主義、過密や加速などを追い求める思想ではなく、一人ひとりにふさわしい居住の実現を目指す「居住福祉」という思想なのです。
 本日はこの後、本年度の「居住福祉賞」の発表を、午後にはこれまで居住福祉賞を受賞された活動のその後を報告していただきます。そうした報告を通して「居住福祉」を広め、深めていきたいと考えています。
 それでは、どうぞ最後までご参加くださいますようお願い申し上げます。

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